藤沢周平『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』文春文庫 1985年

 例によって時代小説らしからぬ(笑)タイトルの捕物帖です。大江戸ハードボイルド「彫師伊之助捕物覚えシリーズ」の主人公が元岡っ引き,今風にいえば私立探偵的なスタンスであったのに対し,こちらの作品の主人公神谷玄次郎は,北町奉行所定町廻り同心,つまり「プロの刑事」です。しかし刑事といっても一筋縄ではいきません。普段は怠けてばかり,情人お津瀬が切り盛りする料理屋の2階で,だらだらとしています。ですから当然,奉行所の鼻つまみ者。けれどもいったん事件が起こるや,寝食を忘れて犯人を追いかけ,逮捕率抜群の凄腕同心です。ですから,これまた現代の刑事物でいえば,「新宿鮫シリーズ」か,「はぐれ刑事」といったところでしょう。そのせいでしょうか,読んでいて,どこか「現代的な匂い」を感じ取ってしまいます。

 たとえば冒頭の「針の光」。川に浮かんだ若い女性の死体に残された傷跡は,4年前に発生した連続殺人事件のそれに酷似,玄次郎は同一犯であるとにらんで捜査をはじめるといったエピソード。小さな手がかりから,被害者の身元や犯行状況を推理していくところは小気味よいですが,それとともに,その犯人像は今でいえば「サイコパス」,普通の日常生活を送りながら突如,殺人鬼と化すといった設定は,すぐれて現代的と言えましょう。
 また「酔いどれ死体」は,大酒飲みの乞食の刺殺死体が発見されるところからはじまります。「ホームレス殺し」といったところでしょうか。最後に犯人が呟く殺害の動機も,現代の「××シンドローム」に通じるものがあるように思います。さらに「青い卵」では,裏店の老婆が殺され,貯めていた小金が盗まれます。いったん解決したかに見えた事件の背後から,恐るべき「もうひとつの真相」が浮かび上がってくるところは,ミステリとしてもおもしろいですし,その「真相」によって明らかにされる犯人像は,まさしく現代が抱える問題に響きあいます。

 もちろん時代劇としてのおもしろさを味わえるエピソードも含まれています。「出合茶屋」では,押し込み強盗事件と,大店の内儀が何者かに狙われるというふたつの事件が描かれます。両者が思わぬ形で結びつくとともに,ラスト,強盗犯と玄次郎との息の詰まる剣劇シーンは,時代小説ならではものでしょう。シリーズ最終作にして,表題作「霧の果て」でも,玄次郎が長年追ってきた母親と妹の斬殺犯との決闘が,緊迫感たっぷりに描かれています。
 そう,この作品は,個々の短編で独立したエピソードを描きつつ,もうひとつ,15年前に玄次郎自身に起きた事件が底流に流れています。同じ同心であった父親が追っていた事件のため,玄次郎の母と妹が殺され,さらには上部からの圧力によって封印されてしまった事件です。その事件により,玄次郎は奉行所に対して拭いがたい不信感を持ち,本シリーズの基調となる彼の「斜に構えた」キャラクタが造形されています。そしてシリーズ後半,その過去の事件に対する探索が,もうひとつのメイン・ストリームを形作っていきます。このあたり,キャラクタ設定とストーリィ展開を上手に絡み合わせる手腕は卓越したものがありますね。

 それともうひとつ,この作品の魅力で忘れてならないのが,「彫師伊之助捕物覚えシリーズ」を連想させるハードボイル・ミステリ・テイストでしょう。とくに「日照雨(そばえ)」は,米屋のどら息子を殺した犯人の姿は,苦く哀しいものがあります。また前掲「霧の果て」では,ついに母・妹の殺害犯を追いつめた玄次郎が見いだしたものは,権力者の無惨な老醜でした。そこには真犯人を見いだした喜びも達成感もありません。ただただ人生の無常を想起させるビターな結末と言えましょう。しかしそれでも玄次郎には「帰る場所」があるのが,救いなのかもしれません。

01/10/04読了

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