池波正太郎『剣客商売 勝負』新潮文庫 1994年

 前巻『春の嵐』はシリーズ初の長編でしたが,ふたたび従来の短編モードに復帰した11冊目です。
 本書所収の「その日の三冬」の中で,男児小太郎を産んだ三冬が,「おはると同年の二十四歳」となっており,さらに秋山親子に知り合った当時,「三冬は十九歳だった」と出てきます。シリーズ最初のエピソードが「女武芸者」,つまり三冬登場ですから,作中の時間は5年間を経過していることになり,「もう5年経ったんだなぁ」と,なにやら感慨深いものがあります(もっとも文庫の出版年で見ると,最初の『剣客商売』から9年経っていますが・・・)。

 そのせいでしょうか,この巻での小兵衛の姿には,どこか「老い」が見られるような気がします。たとえば冒頭の「剣の師弟」。小兵衛のかつての愛弟子黒田精太郎,しかし彼は悪の道にどっぷりとはまっており・・・というエピソードです。優秀な弟子に対する愛情と,自分の甘さゆえに「悪」を産みだしてしまったことに対する後悔,そのふたつの感情の狭間で揺れる小兵衛,そして最後に彼を斬殺しなければならなかった苦悩。打ちのめされた小兵衛の姿には,痛々しいものがあります。
 それに対して,次に来る挿話「勝負」では,大治郎の成長の姿が描かれています。仕官のチャンスを得た谷鎌之助,しかしその条件は「秋山大治郎と試合して勝つこと」。小兵衛や三冬は口を揃えて「負けてやれ」と言うけれど・・・という内容。大治郎は,この“事件”を通じて,単なる「強さ」だけではなく,「懐の深さ」といったものを身につけたように思います。このエピソードのラストで,大治郎と三冬の息子,つまり小兵衛の初孫が生まれたことなども考え合わせると,「世代交代」という言葉が自然と頭に浮かんできます。
 もっとも「助太刀」では,逆恨みをして,隠宅を襲撃してきた浪人たちを,大治郎とともにあっさりと撃退してしまいます。また,ラストの「小判二十両」は,弟弟子が悪の道に足を踏み入れようとするところを,間一髪で小兵衛が助ける,というストーリィで,上に書いた「剣の師弟」とは,類似したシチュエーションでありながら,好対照をなす結末になっています。やはり小兵衛,老いたりとは言え,まだまだ若い者に道を譲る気はないようです(笑)。

 本集で一番のお気に入りは,冒頭で挙げた「その日の三冬」です。出産後,はじめて外出した彼女,その出先で思わぬ事件に巻き込まれ・・・というお話。低い身分と醜い容貌のゆえにお尋ね者となった岩田勘助の最後は,凄絶ながら哀しいものがあります。また不幸な形で再会した三冬は,「首を打ってくれ」と頼む勘助に,「いまの三冬は人の妻じゃ」と答えます。作中で経過した「5年」が単なる数字ではないということを,鮮やかに描き出しているように思います。

98/05/21読了

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