池波正太郎『剣客商売』新潮文庫 1985年

 「剣客というのは,好むと好まざるとにかかわらず,勝ち残り生き残るたびに,人のうらみを背負わねばならぬ」(本書「剣の誓約」より)

 頃は江戸の後半,世にいう田沼時代。江戸のはずれに住む秋山小兵衛,40も年下の女房・はるとともに,一見呑気に暮らす好々爺だが,剣術の腕は人並みはずれた老剣客。息子の大治郎も独立したばかりの若き剣客。そんなふたりが遭遇するさまざまな事件を描く連作短編集です。

 ミステリや怪談をのぞくと,「時代物」「歴史物」と呼ばれる作品のあまり積極的な読者ではありません(けっして嫌いというわけではありません)。ですから,司馬遼太郎の作品はいくつか読んだことがありますが,海音寺潮五郎,吉川英治,山本周五郎,藤沢周平などといったビッグネームの作品はほとんど読んだことがありません。
 この作者についても,テレビの『必殺シリーズ』の「総元ネタ」であることくらいしか知らず,これまでなんとなく読む機会がありませんでしたが,にしむらさん@午前零時で針を止めろ!の掲示板で薦められたのをきっかけに読んでみました。

 いや,おもしろかったです。なんといっても登場するキャラクタがいいですね。まずは秋山小兵衛,若い女体に溺れるスケベ爺(笑)ではありますが,これが剣の達人なうえに,なかなかの「狸爺」(<これって,褒め言葉です^^;;)。なんやかやとふりかかるトラブルを,持ち前の腕と機転で解決していきます。その姿は飄々としていながら,どこか「ピシッ」と筋の通ったところがあります。
 たとえば「井関道場・四天王」では,名門道場の跡継ぎ争いを,奇策によって収拾しますし,「芸者変転」では,無頼御家人による大物政治家恐喝事件を,はったりかまして一件落着させます。もちろん,要所要所では剣の腕が冴える,といったお約束です。その一方で,「まゆ墨の金ちゃん」では,親バカぶりを垣間見せたりする,愛すべきキャラクタです。
 息子の大治郎は,剣の腕は,どうやら父親に勝るとも劣らぬ器ながら,やはり親父殿ほどの人生経験をまだ積んでいないせいか,ちょっと(?)融通の利かぬ堅物です。「雨の鈴鹿川」では,巻き込まれた仇討ちに加勢しながらも,みずからの行動について,うまい具合に得心がいかなかったりします。また,かつては剣豪として名が知れたにも関わらず,いまではすっかり好々爺になってしまった(と大治郎には見える)父親に,少々屈折した思いも持っているようです(そのくせなにかと父親に相談に行くところを見ると,ファザコンの気もあるのかもしれません)。放蕩親父と堅物息子,このふたり,絶妙なコンビでしょう。
 脇役勢もなかなか魅力的で,とくに準レギュラともいえる男装の麗人剣士・佐々木三冬,彼女は時の権力者・田沼意次の庶子という設定です。最初のエピソード「女武芸者」で,どうやら小兵衛に惚れてしまったようで,なにかと小兵衛宅に顔を見せます。「御老中暗殺」で大治郎と初顔合わせ,武芸者同士,なにやら気の合った雰囲気もあり,これからの展開が楽しみです。

 池波作品は,先にも書きましたように初見ですが,この作者,不思議な雰囲気をもった文体の作家さんなのですね。古語ともつかぬ,堅苦しい単語が出てくる一方で,一種独特のリズムをもった文章で,さくさくと軽やかにストーリィを展開させていきます。ストーリィそのものも,つねになんらかのトラブルがメインになっているところから,ミステリアスな雰囲気が漂っており,個人的にも好きな展開です。おそらく,そういう風に描くよう工夫されているのではないかと思います。

 この作品,作者が亡くなるまで書き続けた大シリーズのようですが,このあとも折に触れて読んでみたくなりました。

98/05/15読了

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