池波正太郎『剣客商売 春の嵐』新潮文庫 1993年

 八百石の大身旗本が,「あきやまだいじろう」と名乗る男に斬殺された。困惑する秋山小兵衛・大治郎親子。大治郎に怨みを持つ者の犯行か? 彼らを嘲笑うかのように繰り返される凶行。そして事件の背後に潜む恐るべき陰謀が明らかにされていく・・・

 長編小説は一気に読まないと,途中で筋を忘れてしまうという鳥頭ですので,ウィーク・デイには,だいたい短編集を読むことにしています。ですから,本書も「今週はまずこれかな」ということで月曜日の夜にページを開いたのですが,最初の「除夜の鐘」が終わってもストーリィが完結しない。「おや,めずらしい」と思いつつ,つぎの「寒頭巾」へと読み進めましたが,それでも終わらない。「善光寺・境内」「頭巾が襲う」「名残の雪」「一橋控屋敷」とそのままストーリィは佳境へ,「ありゃありゃ」と思っている内に,一気に最後の「老の鶯」まで・・・「これはシリーズ初の長編だったんだ!」としみじみしながら読み終わったのが真夜中。翌日はしっかり寝不足でした(笑)。「春の嵐」というのは総タイトルだったんですね。

 さて物語は,冒頭でも紹介しましたように「あきやまだいじろう」を騙る男による斬殺事件から始まります。犯人は何者なのか? 秋山大治郎とどのような関係があるのか? その目的は? さらに被害者のひとりが「こん・・・こん・・・」という,ミステリ小説で言うところの「ダイイング・メッセージ」を残す,といった具合に,オープニングからミステリアスに展開していき,ぐいぐいとストーリィを引っ張っていきます。
 そんなメイン・ストーリィとともに,もうひとつ,『狂乱』所収の「狐雨」で登場した杉本又太郎と,彼が助けた首吊り未遂男・芳次郎との流れが描かれていきます。一見,傍流のように見えるこの流れが,次第にメインと合流していき,クライマックスへとつながっていくところは,お約束とはいえ,巧みな筋運びとなっています。またこの芳次郎の,どこか茫洋としたキャラクタが愉快です。『鬼平犯科帳』に出てくる木村忠吾に似た役回りなのかもしれません。
 さらに本編では,これまであまり描かれることのなかった,政治的な時代背景が絡んできます。秋山親子が時の老中田沼意次と昵懇の関係であることは,このシリーズ設定の重要な柱のひとつになっていますが,その意次のライバルといえば,のちに意次を追い落とし,老中となって「寛政の改革」を実施する白河藩主松平定信であります。そして意次老追い落としを裏で糸を引いた一橋治斉
 「善光寺・境内」あたりで,その意次と定信との確執,治斉との因縁などが出てくるのですが,まだ本編が長編であると気づかなかったわたしは,そこらへんが,このシリーズ特有の流れるような展開を滞らせているようで,「なんだか,『剣客商売』らしくないなぁ」などと思っていました。が,事件が進展するにつれ,次第にこれらの政治世界との関係が明らかにされていきます。そこに結びつけるためには,このくだりは,どうしても避けて通れないものだったのでしょう。
 やはり長編には長編なりの「作法」「仕掛け」というものがあるようで,その結果,描き方,展開のさせ方も違ってくる,当たり前といえば当たり前の話なのですが,短編と長編とは,単に長さだけの違いではないんだな,ということを,改めて感じましたね。

 考えてみれば,シリーズもののひとつとはいえ,この作者の長編ははじめてです。おもしろく読めましたが,個人的には,もう少し秋山大治郎を活躍させてほしかったです・・・

98/05/10読了

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