船戸与一『カルナヴァル戦記』講談社文庫 1989年

 ブラジルを舞台とした短編7編よりなる作品集です。各編の主人公は,いずれも「限りなく無国籍に近い日本人」「根無し草的日本人」たちです。この作者の作品は長編の『山猫の夏』『砂のクロニクル』の2冊しか読んでいませんが,いずも殺戮と破壊に終わる壮大な「崩壊劇」といった趣を持っています。短編もまた長編と同様,むき出しの欲望と狂気,愛欲と憎悪,皮肉と虚無を描きつつも,映画のワンシーン,ワンエピソードのようなギュッと絞り込んだ濃密で緊張感のある作品になっています。

「カルナヴァル戦記」
 組織を裏切った殺し屋の密殺を依頼された“おれ”。注意深い標的が唯一人前に姿を現すのはリオの謝肉祭のときだけ…
 狂乱に満ちたリオのカーニヴァルを背景に,サンバのリズム,爆竹の破裂音,人間の汗と体臭のただ中で殺し合うふたりの男。誰もが笑い,愉快に過ごす夜の中で,ひたすら孤独で,虚無の中に身を置いている“おれ”。ハードボイルド・タッチの文章がその雰囲気をよく伝えています。
「ガリンペイロ」
 鉱脈にあたれば大金持ちの鉱山労働者=ガリンペイロである“おれ”は,札付きの三兄弟に殺されそうになり,復讐を誓う…
 小さなパイを奪い合うために殺し合う男たち,それを嘲笑うかのような皮肉な結末。やりきれない世界に対する呪詛に満ちたような一編です。
「ジャコビーナ街道」
 “おれ”は,働き先のサルガード家の復讐に巻き込まれ…
 これはすごい作品だと思います。男の性的放縦は許され,女には厳格な処女性が求められる。しかし白人以外の女は,性的処理道具として扱われる。ラストの女の黒い哄笑は,そんな二重三重の性差別・人種差別の奥底で醸成された憎悪と復讐の情念の噴出をみごとに描き出していると思います。本作品集では一番楽しめた,というか懼れおののいた作品です。
「おタキ」
 ある夜,ダークサイドで生きる“おれ”は,おタキと名乗る老婆と知り合ったことから…
 “おれ”が主人公と思いきや,後半はおタキという強烈なキャラクタを中心に物語が展開します。ラストはしんみりとさせますが,そう言ってしまうには,あまりにおタキの生き様(と死に様)がヘヴィです。
「バンデイラ」
 あてのない旅を続ける“おれ”は,ある田舎町で,殺人犯を追う捕獲隊=バンデイラの一員にされ…
 灼熱の半砂漠で殺し合う男たち。ただひたすら人間を狩り,殺すことを目的とし,それに酔う男たち。折り重なる死体の真ん中で呆然とする主人公の姿には,救いのない,やりきれないまでの虚無感があります。
「ふたつの町にて」
 ブラジル土俗の呪術“マクンバ”の教祖の依頼を受けた“おれ”は,敵対する教祖のもとに忍び込むが…
 ストーリー的にはなんということのない作品ですが,田舎町の小さな祈祷所で繰り広げられるマクンバの儀式の描写が,鬼気迫るものを感じます。「信じるものが幸福になるのではなく,信じないものが不幸になる」という“宗教”というのも不気味です。でも宗教の根元はそんなところにあるのかもしれません。
「アマゾン仙次」
 誘拐された東洋通信機器の副社長の新妻を追って,“おれ”はアマゾン仙次とともに,アマゾン川をさかのぼる…
 かつてブラジルに大量に移民した日本人たち。もしかすると,その中には“アマゾン仙次”のような人物がいるのかもしれません。過去にこだわり,こだわり続けることでのみ,みずからの“生”を感じ取る人間が。この作品もまた血にまみれていますが,最後の主人公の“決意”が救いになっています。

97/11/05読了

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