加納朋子『いちばん初めにあった海』角川文庫 2000年

 この感想文は,本書の内容に深く触れていますので,未読で先入観を持ちたくない方には,不適切な内容になっています。ご注意ください。

 表題作「いちばん初めにあった海」「化石の樹」の2編を収録しています。両編に対して「すべての母なるものへ」という献辞が掲げられており,両者はモチーフ的にはもちろん,ストーリィ的にも密接に結びついています。

 「いちばん初めにあった海」は,千波という女性を主人公にしています。無気力な毎日を送る彼女は,騒がしいアパートから引っ越しを決意,身の回りの整理を始めますが,1冊の見慣れぬ本―『いちばん初めにあった海』―と,その中に挟まれた1通の未開封の手紙を見つけます。<YUKI>と署名されたその手紙には,千波が“人殺し”であること,そして<YUKI>もまた“人殺し”であると綴られています。本についても,手紙についてもまったく記憶のない彼女は困惑し・・・というストーリィです。
 作中作『いちばん初めにあった海』の中に,次のような言葉が出てきます。
 「きっと誰だって,せめてあと一年くらいは母親の胎内にいたかったに違いない。でなきゃ,生まれた瞬間に,あんなに腹立たしそうに泣き叫ぶはずがないじゃないなか?
 ――カエリタイ,カエリタイ,モトイタバショニ。
 彼らはみな,懸命にそう訴えているのだ」

 たしかに母胎の羊水の中で微睡み,他者とコミュニケートすることなく,ただひたすらに「自分」の中で自足して生きていられたら,おそらくこれほど楽なことはないでしょう(胎児の肺が空気ではなく羊水で満たされているということは,他者とのコミュニケーションの道具である「言葉」が空気の振動であることを考えると,なんとも意味深長です)。ですから,胎児が生まれて最初にあげる産声は,上に書いたように不満の表明なのかもしれません。しかし,たとえそれが不満を表していたとしても,やはりそれは,自身が生まれてきた「世界」に対する最初のコミュニケーションであることは間違いありません。
 ミステリアスな展開の末に明らかにされる千波を取り巻く状況は,ちょうどこの胎児―羊水の中で微睡む胎児の姿とオーヴァラップします。そして,言葉を失った―他者とのコミュニケートを拒絶した―千波が,最後に結城麻子に声をかけること,それは胎児の産声と同じものなのでしょう。先に書いたように「誕生」とは苦痛を伴うものなのかもしれません。微睡みを破られ,自足した世界から,他者の存在する世界へと否応なく送り出される苦痛なのかもしれません。千波にとっては,かつて自分が体験した苦しみにもう一度直面しなければならないことです。
 しかし多くの子どもたちが,その「苦痛」と引き替えに,親たちの愛と祝福を得られるように,千波の「産声」もまた,麻子の一言―「――ええねん」―によって祝福されたのでしょう。
 さてもう1編「化石の樹」は,ひとりの男性の「語り」によってストーリィが進みます。彼が,アルバイト先のサカタさんから託された1冊のノート,金木犀のうろの中に隠されていた1冊のノートの記述がメインとなっています。そこには,<母親>になれない母親と,傷ついたその娘,そして母親の死が書かれています。
 淡々としていながら,自覚なき母親に育てられる娘の哀しみに彩られた物語は,後半にいたって,その姿を大きく変えます。表題作で残されていた「謎」とするすると結びついていき,『ななつのこ』『魔法飛行』で見せた,アクロバティックなミステリ的手腕がここでもいかんなく発揮されます。そしてそのミステリ的な醍醐味とともに,表題作で触れられていた,もうひとつの「傷ついた魂」の救済が描き出されているところは,まさにこの作者の独壇場と言っていいでしょう。

 この作品において「謎解き」は,「解体」ではなく「再生」に,「断罪」ではなく「救済」になっていると言えましょう。そこにこそ,この作者の作品に流れる暖かさがあるのかもしれません。

00/09/24読了

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