ピーター・トレイメン『アイルランド幻想』光文社文庫 2005年

 「あたしらを滅ぼそうっていうんなら,こうした神様や精霊たちも滅ぼさなきゃなんないんだよ! 永遠なるものたちを,一体どうやって滅ぼす気なんだい?」(本書「髪白きもの」より)

 アイルランドを舞台とした「アイリッシュ・ゴシック・ホラー」11編を収録しています。

「石柱」
 盲目の作曲家が住むことになった屋敷の庭には,古代の石柱が残り…
 本編の最大のユニークさは,主人公を盲目に設定している点にありましょう。見た目には,何の変哲もない石柱の表面が,彼の手に触れた感触では「人の顔」が彫られているかのように感じられる…そのことが,ショッキングなラストに加え,石柱が長い年月の間,密やかに「抱え込んできたもの」のおぞましさを,鮮やかに浮かび上がらせています。本集中,一番楽しめました。
「幻の島ハイ・ブラシル」
 海上で嵐に遭い,九死に一生を得てたどり着いた孤島で,“私”が見たものとは…
 一見,アイルランド版「浦島太郎」風の物語は,しかし,さながら「海上のアリ地獄」を思わせる奇怪なものへと変貌していきます。主人公を縛る「呪い」がおもしろいですね。
「冬迎えの祭り」
 アンソロジィ『戦慄のハロウィーン』「アイリッシュ・ハロウィーン」という邦題で収録。感想文はそちらに。
「髪白きもの」
 17世紀の農家で発見された古文書…そこに記されていたのは…
 イギリスの「清教徒革命」「クロムウェル」といえば,世界史の教科書に出てくる必ず「近代の幕開け」の1ページです。その時代,過酷なアイルランド支配が実施されたことを描く本編には,魔女狩りが一番多かったのはルネサンスの時代である,ということを知ったときと同じような不気味さを感じました。
「悪戯妖精プーカ」
 妻を裏切り愛人に走った男に,妻から贈られたものとは…
 本編における「迷信」「呪い」とは,たしかにホラー作品では,あまりに古くさいものではありますが,主人公の“ぼく”に象徴される,利己的欲望とプラグマティズムに満ちたアメリカ社会への強烈なアンチとして機能しているのではないでしょうか。
「メビウスの館」
 古い鉱山を調査中,廃坑に転落した“私”が覚醒したのは…
 物語の構造は,ホラーではオーソドクスなものであり,途中で見当はつくのですのが,おもしろいのは,最後の幕の引き方。「囚われの魂」とでも言うべきモチーフを連想させるエンディングは,余韻があっていいですね。
「大飢饉」
 男が,25年にもわたって,教会で告解しなかった理由は…
 イギリスvsアイルランドというと,白人同士の宗教的対立といったイメージが強かったのですが,19世紀中頃の「大飢饉」という歴史的事件をあつかった本編を読むと,アイルランドがまぎれもなく「植民地」であったことが知られます。最後に示される男の「狂気」もまた,彼の個人的なものに還元されるのではなく,そんな「歴史のダークサイド」に根っこを持つもののように思えてなりません。
「妖術師」
 祖父,そして両親が立て続けに死んだ屋敷に戻った男は…
 この作品集には,「呪術」や「妖精」,「死霊」などが,当たり前のごとく登場しますが,本編は,その中で「現実」と「幻想」とが入り交じりあいながら,クライマクスへと展開していく点でやや異色と言っていい作品です。その上で,主人公の置かれた「立場」の恐ろしさが効果的に浮かび上がるラストはいいですね。
「深きに棲まうもの」
 クトゥルフ神話のアンソロジィ『インスマス年代記』「ダオイネ・ドムハイン」という邦題で収録。感想文はそちらに。
「恋歌」
 カセットテープに録音された“恋歌”…それに隠された秘密とは…
 「気がつくと自分が,時を超えて歴史の一部に参加している」というモチーフは,幻想譚ではしばしば見られますが,この作品では,そこにもうひとひねりを加えています。主人公が聞いた奇怪な足音が,彼が加わった「歴史」の異形さ,あるいは彼が加わったのが「歴史」ではなく「伝説」だった可能性を示していて,不気味さを盛り上げています。
「幻影」
 小さな島に赴任した神父。そこで彼は不可解な“幻影”を見る…
 神父の側から見れば,それは「罪」であり「堕落」なのでしょう。しかし「ローマへの憧れ」に見られるスノッブ性,建前とは裏腹の「若い男」としての自分など,むしろ神父の持つ偽善性が,土俗の力強い生命力に飲み込まれていく姿のように思えます。

05/08/25読了

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