日下三蔵編『氷川瓏集 睡蓮夫人 怪奇探偵小説名作選9』ちくま文庫 2003年

 「科学はすべて不可能なることを夢見るところから出発いたします」(本書「風原博士の奇怪な実験」より)

 ここ数年,古いミステリ作品の再評価が高まり,アンソロジィや個人撰集という形で再刊されていますが(とくに文庫というスタイルで,というところがうれしい限りですが),この作者の作品も,そんな中でしばしば目にしてきました。しかしまとまって読むのは今回が初めて,と思っていたら,編者の「解説」によれば,この作者のミステリ作品集というのは,これが初めてだそうです。
 計16編を収録。気に入った作品についてコメントします。

「乳母車」
 この作者のデビュー作とのこと。『怪奇探偵小説集1』所収作品。感想文はそちらに。
「春妖記」
 山中,ピアノの調べに導かれて“私”は,西洋館にたどり着き…
 物語の構造そのものは,きわめてシンプルですが,主人公が耳にするピアノの曲を特定せず,「どこかで聴いたことがあるような,それでいて思い出せない」とすることによって,「西洋館」の幻想性を高めていますね。
「白い蝶」
 白い蝶が“僕”の額にぶつかったのが,すべてのはじまりだった…
 みずからの狂気を外在化させた「白い蝶」のイメージが印象的です。とくにラスト・シーン,手鏡という区切られた「景色」いっぱいに写る蝶の姿は,主人公の恐怖を巧みに盛り上げています。
「白い外套の女」
 『探偵くらぶ(下)浪漫編』所収作品。感想文はそちらに。
「風原博士の奇怪な実験」
 性別が交換できる…その実験に恋人は異様な関心を示し…
 疑似科学的な胡乱なオープニングは,まさに「怪奇探偵小説」といった趣に満ちあふれています。「いったいどこへ行くのか?」という不分明さをたたえた末の意外なツイスト。伏線がもう少しほしいところですが,前半との落差が楽しめます。
「浴室」
 不倫の相手と会ったあと,男は奇妙な眩暈をおぼえ…
 この作者の作品の特色は,ストーリィのシンプルさを補うイメージの鮮烈さにあるのでしょう。湯煙の向こうに主人公が幻視したものこそ,本編の眼目なのかと思います。
「窓」
 父の「自殺」に疑問を持った少年は…
 「どこかで読んだな」と思って検索してみたら,渡辺剣次編『13の凶器』に収録されていました。最後,主人公の少年を高熱で夢うつつにしているところは,今の目からすると「救い」になっているように思います(ああ,イヤな世の中だ(..ゞ)
「睡蓮夫人」
 散歩の途中,不倫の相談をする電話を耳にした“私”は…
 不倫をした妻をめぐる悲劇−たしかに物語は「理」の枠内に収まっています。にもかかわらず,全編にあふれているのは,どこか現実離れした「この世ならぬもの」です。みずからの犯罪を語る男は,実在するのか,もしかすると,男もまた,「絵」が産み出した…男を誘い込むという女の「絵」が産み出した幻影なのかもしれない,そんな風に感じられます。
「天平商人と二匹の鬼」
 敦賀へ商いに出ることになった男は,出発前,不吉な予言を聞き…
 迷信と嗤うことは容易いですが,迷信は人を弱くするとともに,強くすることもあるようです。主人公は,出会った男たちを「鬼」と信ずることで,逆に迷信=予言を克服したのでしょう。ユーモアなテイストを持った,本集では,少々異色な作品です。
「陽炎の家」
 山中,ピアノの調べに導かれて男は“陽炎の家”にたどり着き…
 前出「春妖記」のリメイクと言ってしまえばそれまでですが,より深みに嵌ってしまったがゆえに訪れる悲劇という点で,ややテイストが異なります。むしろ“陽炎の家”は,数十年の時を経てもなお犠牲者を求め続けている,といった風に解釈した方がおもしろいかもしれません。
「路地の奥」
 少年が小さな川をさかのぼって見たものとは…
 少年の目を通して,無惨な「現実」を切り取ってみせています。淡々としているがゆえに,哀しみがじんわりと浮かび上がっています。また主人公の少年が幼い「冒険心」を胸に,住宅に囲まれた川をさかのぼっていくシーンに,すごいノスタルジィを感じました。こういった気持ち,男の子には馴染み深いものですよね。
「風蝕」
 「愛石名品展」で見かけた蛇紋石は,5年前に失踪した友人が持っていたものだった…
 やや冗長な観があり,また「2時間サスペンス・ドラマ」的なところもありますが,「石」を手がかりとしながら,失踪した友人の行方を追うという設定はユニークですね。

03/09/13読了

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