古泉迦十『火蛾』講談社ノベルス 2000年

 「火蛾の無知を,人は嗤えようか――」(本書より)

 ヒジュラ暦6世紀(西暦12世紀),詩人のファリードは,修行者アリーから不可思議な物語を聞く。謎の聖者に導かれ<<山>>に登ったアーリーは,導師ハラカーニーと出会う。しかし導師の奇怪な教えに接した直後,ともに<<山>>に住んでいる修行者たちがつぎつぎと殺されていく。なぜ? そして誰が?

 わたしが個人的に「異界ミステリ」と呼んでいるタイプの作品です(註:「異界ミステリ」とは,作者が独自のルールや常識を設定・構築し,そのルール・常識に沿った謎解きがなされるミステリのこと。具体例:西澤保彦の一連のSFミステリ,山口雅也『生ける屍の死』『日本殺人事件』小野不由美『黒祠の島』など)。
 で,本編における「異界」は,900年前のイスラム世界です。イスラム世界を「異界」と呼んでしまうのは,イスラム教徒の方に失礼になるでしょうが,わたしも含め,イスラム教の教義や,さらにその中での神秘主義的分派に対する知識はけっして一般的なものではないでしょうから,それらが支配する世界は,やはり「異界」として目に映ります。
 実際,聖者列伝を編むため,各地に伝わる伝承や説話を集める,詩人にして作家のファリードが,ひとりの修行者アーリーから話を聞くというスタイルで進行するこの物語において,さまざまなイスラム教的な世界観や哲学的な議論がメイン・モチーフとして繰り広げられます。偶像とは何か,死とは何か,そして言葉とは何か? 独特のペダントリィに満ちた議論は,十二分に「異界性」を醸し出しています(こういう議論,個人的にけっこう好きですし^^;;)
 そんな,語り手であるアーリーと導師ハラカーニーとの間で抽象的とも具体的ともつかぬ議論が交わされる中,事件は進行していきます。密室状況で殺された修行者カーシム,刺殺された上,穹廬(テント)の上に横たえられた修行者ホセイン<<山>>という特殊な空間で,犯人は当然限られています。もうひとりの修行者シャムウーンか,導師ハラカーニーか,あるいは語り手であるアーリーか?(最近のミステリでは当然,この選択肢はアリですよね。なにしろ語り手の「アーリー」と物語中の「アーリー」が同一人物かどうかさえ確定されていませんし)。
 この<<山>>で起こった連続殺人の謎解きは,各種ペダントリィに飾り立てられているとはいえ,むしろオーソドックスなものといえましょう。しかし,この作品の真骨頂は,むしろそのあとに来る「真相」ではないでしょうか。「異界」内部でのルールと常識によって解決されたかに見えた「謎」は,さらに大きな「異界」によって飲み込まれ,まったくその意味を変えてしまいます。もちろん,このような「作中作」的な設定も,ミステリではお馴染みではありますが,本編の場合,そこに宗教的(狂信的?)な「象徴」と「現実」とが絡み合い,重ね合わされ,綯い交ぜにされながら,幻想とも現ともつかぬ−しかしそれでいてミステリとしての「理」を保持した−新たな象徴世界へと昇華させていきます。まさにここにこそこの作品世界が持つ「異界性」が発揮されていると思います。

 ところで本書は,「第17回メフィスト賞受賞作」とのこと。はさまれていた栞に,これまでの受賞作一覧が書いてありましたが,17作品のうち既読は5作・・・まぁ,そんなものかなぁ・・・(^^ゞ

01/05/27読了

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