黒田研二『硝子細工のマトリョーシカ』講談社ノベルス 2001年

 生放送のミステリ・ドラマ「マトリョーシカ」の放映が始まった。しかしドラマ進行の背後で,もうひとつの犯罪計画が進んでいた。さらに1年前に起きたアイドルの自殺事件が,その背景にちらつく。ドラマはしだいに現実と混交し始め,シナリオを超えて動き出す。虚構と現実との錯綜の果てに待っていた結末とは?

 KUROKENさん@ミステリ博物館の第3作です。この作品を読んで,かなり前に見た2本のテレビ・ドラマを思い出しました。1本は,タイトルは失念してしまいましたが,岸本加世子主演で,本作品と同様,生放送のミステリ・ドラマです。もうひとつは,そのまんま東原作・主演の『ビートたけし殺人事件』。このドラマでは,大勢のタレントがタレント自身の役柄で出演していたように記憶しています。

 とまあ,そんな思い出話は置いておいて・・・『ウェディング・ドレス』『ペルソナ探偵』で,「構成トリック」の妙技を味あわせてくれたこの作者,本作品でも,その腕前を思う存分に発揮しています。
 物語は,美内歌織脚本・主演の生放送ミステリ・ドラマ「マトリョーシカ」を中心として,それを見る“僕”−歌織の恋人である森本晋太朗−の視点から語られていきます。1年前に自殺した映画監督の死の謎を追う報道番組に爆弾が仕掛けられたという予告電話・・・という体裁のミステリ・ドラマは,しかし,番組中に,主演の歌織の飲んだ麦茶に毒が入れられるという「現実」の事件が発生したことから,しだいに「虚構」と「現実」とが混交していきます。さらにミステリ・ドラマにおいて取り上げられている「虚構」の映画監督の自殺は,1年前に発生した「現実」のアイドルの自殺事件とオーヴァ・ラップし,番組を企画した歌織の真意が奈辺にあるのか,がポイントのひとつとして浮かび上がってきます。
 いったいどこまでがドラマで,どこからが現実なのか,「現実」と思われたシーンがじつは「ドラマ」であり,「ドラマ」と思われて部分が「現実」で,と,作品世界は,まさにタイトルにある「マトリョーシカ」の人形のように,多重の入れ子構造となっています。その複雑な構造は,前2作はない眩暈感を醸し出すことに成功しているように思います。その眩暈感こそ,読者の視点を拡散させ,混乱させ,煙幕を張ることを目的とした,この手の「構成トリック」において,もっとも重要な要素と言えるでしょう。しかしそれでいながら,混交した多重構造の「入れ子」は,最終的にはきっちりと整理されます。ちょうどバラバラにされたマトリョーシカ人形が,それぞれの「入り場所」に収まり,元の「ひとつの人形」に戻るかのような展開は,見事な手腕と言えましょう。
 そして,この作品の最大の魅力は,その作品世界の多重構造が,メイン・トリックにきわめて密接に結びついている点にあるのでしょう。ストーリィの進展にともなって,「これでもか」と見せつけられる多重構造性は,作品全体に仕掛けられたトリックの存在を予想させながらも,それが作中のメイン・トリックに結びついて,本格ミステリの「命」とも言えるどんでん返しへと着地するところは鮮やかです。
 ただちょっと気にかかったのが,主人公の行動がいまひとつぎこちないところ。会話もちょっとわざとらしい(笑) それとクライマクス・シーン。絶体絶命,危機一髪というシチュエーションでの長時間の告白は,ちとアンバランスな感じを受けました。

 1作目より2作目,2作目より3作目という風に,着実に技量を上げていく「手堅さ」の感じられる作品です。

01/08/26読了

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