桐野夏生『ファイアボール・ブルース2』文春文庫 2001年

 女子プロレス界を舞台にして,「女の荒ぶる魂」を描いた『ファイアボール・ブルース』の第2作にして完結編です。
 前作では,冒頭に外国人プロレスラーの失踪事件を描くことで,ミステリという体裁を保持していましたが,連作短編集である本作では,多少のミステリ・テイストを含ませているとはいえ,むしろ語り手であり主人公である近田のプロレスラーとしての苦悩と軌跡を描くことに主眼を置いています。のちの『柔らかな頬』で見せた「脱ミステリ化」の兆候が,すでにこの作品発表時(初出は1995〜96年)に現れているのかもしれません。

 「ほんとうの自分をみつける」とか「自分自身を探す」とかいったフレーズが,ひと頃(今でも?)マスコミやCMのキャッチ・コピーに氾濫しました。硬直化し抑圧的なシステムや価値観において(たとえば学校)過ごす人々にとって,これらのフレーズは,そんな価値観やシステムでは達成できない別の「可能性」に目を向けるものとして,とても耳障り,目障りのいいものでしょう。
 しかし「自分自身を知る」ということは,つねに「可能性」だけを意味しているわけではありません。同時に「限定性」をも示しています。「自分を知る」とは「あるものにはなれない」ことを,自分の力不足や無力さを自覚する苦く辛い体験でもあります。あるいはまた自分自身が抱える欠点や弱点を直視することでもあります。
 本編の主人公・近田は,デビューしてからすでに3年,その間,1勝しかできていない,いわば「三流レスラー」です。彼女は,所属団体PWPの看板選手火渡抄子の付き人であることに,自分のアイデンティティを求めているところがあります。そんな彼女に,先輩選手の難波から,別のリングネームを襲名し,火渡から独立する話が持ちかけられます(「リングネーム」)。その話には実は裏があって・・・というのが,このエピソードの「ミソ」なのですが,近田はその話を断ります。それは,自分が「ひとりの自立したプロレスラー」であることの放棄であるとも言えます。また「判定」では,火渡が微妙な判定によって,チャンピオン・シップを奪われてしまいます。その判定を行ったミッキーというレフェリーをめぐって,近田は,ある「作為」の存在を知ってしまいます。そしてミッキーに対する火渡の態度を通じて,尊敬し憧れている火渡と自分との間の,どうしようも埋めようのない「溝」の存在に気づきます。つまり「自分は火渡になれない」という自己認識とも言えましょう。
 さらに「嫉妬」では,快調にランクを上げていく同期の与謝野の,ファンから贈られたプレゼントが盗まれるという事件が起こり,近田は,消しようのない彼女への嫉妬心と,盗難事件の背後に隠されていた与謝野の「プロとしてのしぶとさ」を知ることで,自分のレスラーとしてはもちろん,プロとしての非力さを思い知ることになります(「脅迫」で描かれる与謝野の凶暴さは,このエピソードの,いわば伏線とも言えるかもしれません)。
 そしてファイナル・エピソード「グッバイ」は,文字通り,近田の火渡との別れを描いています。火渡から付き人であることを辞めるよう言われた彼女は,自分がプロレスラーとして自立しなければならない境地に追い込まれます。いわば二者択一を迫られるわけです。このとき近田は,プロレスラーであることを辞めます。火渡にとって「良かれ」と思われたことは,近田にとっては,それまで頼ってきた自らのアイデンティティの在処を失わしめるものだったのです。
 この作品は,ほかにもいくつかのエピソードを含みながらも,そんな近田の苦く辛い自己認識−自分はプロレスラーに向いていない−の過程を追っているのではないでしょうか。しかし苦く辛いものであっても,近田は,最後に「これからどうするの?」と問いかける与謝野にこう言います。
「わからない。でも,思っていたより外は自由なのかもしれないから,ここを出てから考えるよ」
 そして最後の「近田によるあとがき」のラスト−スターへと階段を上りつつある与謝野をテレビで見て,「喜んでいる自分に気づいた」彼女の姿には,苦渋と断念の「自分探し」の末の清々しさが感じられます。

01/08/25読了

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