桐野夏生『柔らかな頬』講談社 1999年

 この感想文は,作品の内容に深く触れているため,未読の方,先入観を持ちたくない方には不適切な内容になっています。ご注意ください。

 友人家族の北海道の別荘に,家族で出かけたカスミ。しかし彼女の真の目的は,不倫相手との逢瀬だった。夫も子どもも捨ててもかまわない,そう決心した朝,5歳の娘が姿を消した。そして4年,周囲の人々が諦める中,カスミはただひとり,なにものかに憑かれたかのように娘の行方を追う。長い漂流のすえに彼女が見たものは・・・

 当初,この作品は「ミステリ」として構想されたのではないかと想像してしまいました(ここでいう「ミステリ」とは,「事件(謎)が提示され,いかなるプロセスを経るにしろ,最終的に真相が明らかにされる物語」としておきます)。しかし作者は,意図的にそれを拒絶しているように思われます。
 物語は,主人公カスミの娘,5歳の有香が,人里離れた別荘地から,ある朝,忽然と姿を消すところから始まります。事件なのか,事故なのか,有香は生きているのか,それとも死んでいるのか。カスミの夫道弘や関係者が,有香の生還を諦めていく中,彼女は,狂気とさえ呼べそうな頑なさで,有香の行方を追います。
 失踪者とその追跡という,オーソドックスなミステリ的フォーマットを設定しながら,「真相」について,作者は,いくつかの「解答案」を提示するにとどめます。たとえば,意外な人物が,意外な動機で有香を殺してしまうという解答案もあれば,細心の計画性をもって有香は誘拐され,思わぬ場所で生き延びているという解答案もあります。しかし,それらはすべて「白昼夢」としてのみ描かれ,けして「事件の真相」としては着地しません。事件の「真相」は,さながら「台風の目」のごとく,空白のまま物語は幕を閉じます。むしろ作者の視線は,その「台風の目」を中心に巻き起こる周囲の「暴風域」を描き出すことに向けられます。
 カスミは,鄙びた田舎町から家出という形で「脱出」し,さらに東京で知り合った夫との生活からも「脱出」しようとします。そういった意味で,犯罪と通じて日常生活の中で沈殿した「絶望」からの「脱出」を描いた『OUT』と共通するモチーフと言えましょう。しかし本編では,娘の失踪を契機として,カスミの「脱出」は頓挫します。いや,カスミの「時間」は,娘の失踪から動かなくなります。夫の道弘やもうひとりの娘梨沙,愛人の平石が,現実を受け入れ,有香の失踪という状況から「脱出」していくのに対し,カスミのみが「脱出」することはできません。作者は,「有香の失踪」という「時間の牢獄」にとらわれたカスミの心理を,彼女の行動が引き起こす周囲との摩擦,軋轢を通じて描き出していきます。その描写はじっとりとした粘質性をを持っていて,正直,読んでいて胸苦しくなるほどです。
 そんな彼女の「時間」が動き出すのは,ひとりの男,元刑事の内海と知り合ってからです。彼は,胃ガンのため余命いくばくもなく,彼の「時間」は「死」へと向かって着実に進んでいます。娘の失踪によって「時間」をとめたカスミと,いやおうもなく死へ向かって「時間」を進めていく内海。この対照的なふたりの交流を描きながら,物語は,カスミの最初の「脱出地」,彼女の故郷へと辿り着きます。そこで,カスミが拒絶した故郷で,彼女は,「いなくなった自分」を無視して流れていった「時間」を,母親の元気で,幸せそうな姿を通じて見出します。あるいはまた,内海の死に立ち会うことで,人の心とお構いなしに流れる「時間」とも直面します。このふたつの「時間」と接することで,カスミはふたたびみずからの「時間」を生きることを決意します。けして爽やかでも,心地よいものでもなく,むしろ苦い味わいさえありながら,それはまごうことなく「再生」を描いたエンディングと言えます。
 好き嫌いは別として,ミステリの中には,謎解きそのものよりも,犯罪に関わった人々の心理描写を重視する作品が数多くありますし,欧米では主流といっていいかもしれません。この作品で,作者は「ミステリ的着地」をあえて拒絶し,「真相」を「藪の中」に置き去りにすることで,「失踪事件」に関わった人々が直面せざるを得ない困難の不条理性を高め,さらにそれに固執する人間,そしてそれから「脱出」していく人間の苦闘と心理の軌跡を,より鮮明に描き出そうとしているかのように思えます。

 なお本作品は「第121回直木賞」を受賞しています。

00/06/04読了

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