皆川博子『ゆめこ縮緬』集英社文庫 2001年

 「彼にとっては,現実は肌の荒い束子(たわし)のようなもので,なぜ絹の夢より亀の子束子が値打ちがあるのか,皆目わからなかった」(本書「青火童女」より)

 8編を収録した幻想短編集です。
 この作者の幻想小説,とくに短編作品における「幻想性」は,既存の分類体系の解体に由来するのだと思います。死者と生者,女と男,過去と現在,虚構と現実,夢と現・・・それら日常において明確に区別される,あるいは区別されるべきとされているものを,反転させ,混交させ,その境界をひたすらあいまいにしていきながら,幻想的な異界を立ち上がらせます。もちろん,そこに艶やかなレトリックで官能性をふんだんに盛り込むところは,この作者の独壇場と言えましょう。
 ・・・とまあ,以上のことは『骨笛』『たまご猫』の感想文にも書いたことなので,今回はちょっと視点を変えてみましょう(でも,結局は同じなんですが^^;;)。

 本集中に収められた作品には,繰り返し取り上げられるいくつかのモチーフがありますが,そのひとつに「中洲」があります。たとえば「文月の使者」では,主人公は,嵐で橋が落ちた中洲から外に出ることができなくなります。また「青火童女」のオープニングにおいて,中洲を訪れた主人公はそこで奇妙な老人と知り合います。さらに「ゆめこ縮緬」の主人公の少女が育ったのは,中洲の漢方薬屋“蛇屋”です。
 「中洲」というのは,言うまでもなく,河に流されてきて土が積もり積もってできた場所です。いわば本来「土地」ではなかった場所です。それゆえ,その場所には,旧来の「土地」にないもの,もしくはあってはいけないものが集まります。それは女郎屋であり,精神病院であり,土地を持たぬ流浪民の仮の住処であったりします。
 同時に中洲は,河で遮られたふたつの「土地」を結びつける境界でもあります。反対側の川岸に渡るために通らねばならない場所です。ひとつの場所から,もうひとつの別の場所に移動する途中,どちらにも属していない不安定で危険な場所です。しかし人の往来は中洲を活性化させます。旅人のために宿や飲食店も必要です。「土地」の人々にとって,「新参者」であり「得体の知れないもの」であるとともに,ときに「土地」よりもはるかに殷賑を極める「異界」,それが「中洲」なのでしょう(博多最大の繁華街が中洲であることも,そういったことと関係するのでしょう)。
 そんな「異界」としての中洲では,「土地」のモラルやルールは通用しません。「妻」として「娘」として,つつましやかで地味であるべき「女」は,中洲では,陽気で華やかでなければなりません。農民の繰り返しとその成果として得られる堅実な農作物よりも,一夜で蕩尽される贅沢さが求められます。野暮は嫌われ,「粋」が尊ばれます。
 上に書きましたように,この作者の幻想短編において,さまざまな分類体系が解体されていきます。「文月の使者」では,ひとりの死者をめぐって女と男が争います。おまけに争う男は女装しています。また「影つづれ」では,「物語」と「現実」が,「花溶け」では,「夢」と「現」が,そして「青火童女」では時間さえもすべての混沌の中に溶けていきます。
 それらの作品の舞台として,モチーフとして,既存のモラルやルールが通じず,ときに反転することさえある「異界」としての「中洲」が繰り返し言及されることは,けっして偶然ではないでしょう。中洲という「地霊」に加護され,あるいは呪縛されたキャラクタが織りなす物語は,おのずから妖しいものとなるのでしょう。

 本短編集で,わたしがお気に入りの作品としては,後景に隠されつつも淫靡さがじんわりと伝わるとともに,すべてが夢の中へと収束していくような「花溶け」,「今」と「過去」とが巧妙に入り交じりながら,登場人物たちの思わぬ関係が明らかになる時間幻想譚「青火童女」といったところです。

01/06/10読了

go back to "Novel's Room"