皆川博子『たまご猫』ハヤカワ文庫 1998年

 10編よりなる短編集です。
 以前読んだ『骨笛』の感想文でも書きましたが,この短編集に収録された諸作品も,死者と生者,現在と過去と未来といった,さまざまな“境界”が反転し,溶け合い,混じり合った“異世界”“反世界”を描いています。それは,ときとして不思議で,ときとして恐ろしく,ときとしておぞましい世界です
 気に入った作品についてコメントします。

「春の滅び」
 失踪した叔母を追って,東北の小さな村を訪れた“わたし”が見たものは…
 人はみずから創り出した“物語”の中に生きています。その“物語”を喰らい,エネルギィとし,そしてふたたび新たな“物語”を創り出して,生きています。それは人が生きていくための知恵のひとつなのでしょう。しかし,ときにはみずから創り出し,喰らうための“物語”によって,自分自身を喰われてしまうこともあるのでしょう。主人公と叔母とが辿った道程は,そのようなものだったのかもしれません。解説で東理夫が巧みな比喩でこの作品を評しています。
「朱(あけ)の檻」
 作家の“私”が取材に訪れた古い旅館。そこの土蔵には,座敷牢があった…
 赤漆で塗られた座敷牢の格子のイメージが鮮烈です。そして座敷牢を巡る女たちの情念の歴史。それが,単なる“因縁話”として語られるだけでなく,後半で,主人公と共鳴するシーンは,ほんのわずかな描写ですが,簡潔なだけに心憎いです。さらにもうひとひねり,するりと足下をすくわれるような一気に反転するエンディングもいいです。
「おもいで・ララバイ」
 新婚旅行で訪れたペンション。“わたし”は以前たしかにここに来たことがあり…
 胸になにごとかを秘めた主人公の描写が秀逸です。そしてしだいに明らかにされる過去と,さらに現在との接点。ラスト2ページで明かされる主人公の意図と,二転三転する着地には,呆然としてしまいました。じつに上質なミステリ短編だと思います。本書で一番楽しめました。
「雪物語」
 小さなスナックを訪れた亜由子。それを迎えるマスタの卓郎。ふたりはさりげなく会話をするのだが…
 冒頭にも書きましたように,生者と死者,過去と現在と未来が,混じり合い,日常的な光景がするりと(回転ドアをくぐるように)非日常へと転換する幻想的な短編です。しかし後味はけっして悪くありません。
「水の館」
 アイドル・グループのひとりがホテルから姿を消した。彼を追ったマネージャが辿り着いたのは閉鎖された水族館…
 前作と同じようなテイストを持った作品。死者にとって時間は存在せず(あるいは有り余るほど存在し),繰り返される行為に意味も目的も出口もない。人を殺した者は,殺された者と同じ世界に引き込まれるものなのかもしれません。
「骨董屋」
 麻子はふと立ち寄った骨董屋で,奇妙な姉弟に出会い…
 前半の描写は鬼気迫ります。本人には思い出せない過去の友人,その奇妙な言動。狂気に直面した恐怖がじわじわと滲み出ています。が,後半になって,それはがらがらと足下から崩れていきます。そして最後の主人公の“決心”の行方に思いめぐらすとき,底知れぬ恐怖が忍び寄ってきます。怖いという点では,この作品のラストが一番怖かったですね。

98/01/28読了

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