森博嗣『幻惑の死と使途』講談社ノベルズ 1997年

 箱抜けマジックの第一人者・有里匠幻。爆破された箱の中から無事生還したかに見えた彼の胸にはナイフが刺さっていた! 衆人環視下,彼に近づいたものは誰もいなかったにもかかわらず・・・。さらに匠幻の葬儀の席上,彼の遺体が棺から消失! 度重なる不可解な人間消失の謎に犀川と萌絵が挑む。

 シリーズ前作『封印再度』の萌絵の行動に思わず切れてしまいましたので,今回は,「どんなもんでも来い!」という感じで,多少落ち着いて読めました(笑)。まあ今回は,彼女もそれほどはちゃめちゃな行動はとりませんでしたので,それほど苛立つことなく読み通せました。怖いもの知らずのところは相変わらずですが。むしろ「TMコネクション」ですか,愛知県警の刑事たちの方が情けないですね。作品を読みながら,こういったところをいちいち気にするのは,おそらくシリーズキャラクタものの術中にはまっているってことなのでしょう(笑)。ただ犀川先生のいつものシニカルで逆説めいたアフォリズムの切れがちょっと良くないような・・・。ところで,犀川先生,本当に踊れるんですか?

 さて,今回はマジシャンが被害者だけに,舞台がなんとも派手でケレン味に満ちています。多くの眼が見つめ,またテレビのヴィデオにもしっかり録画されている状況で,最初の事件では犯人が消え,そして葬儀場からは,同じような状況の下で遺体が消失します。マジックというものは,そもそもトリックの存在を前提としています。脱出のためにさまざまな仕掛けが施された“金の箱”,一瞬にして白色から赤色に変化する棺,おまけにその棺は二重底などなど・・・。それらマジックとしてのトリックが,不可能状況における犯罪のトリック,つまりミステリとしてのトリックと重なり合って,タイトル通り,読むものを幻惑させる効果があるようです。その効果がけっこう巧く使われていて,途中で萌絵によって示される匠幻殺害のトリック案が,いわばマジックとしてのトリックの文法に乗っ取った解決案であるのに対し,最後に解明される真相(ミステリとしてのトリック)は,そういったマジックとしてのトリックの盲点をつくようなもので,けっこう楽しめました。しかしある意味では,そのミステリとしてのトリックそのものが,より大がかりなマジックとしてのトリックの一部なのかもしれません。左手のオーバーアクションの陰で,右手でこっそりタネを仕込むのがマジックの基本ですから。またミステリ小説そのものが,作者というマジシャンの舞台であり,読者はその観客なのでしょうから(もっともこのマジシャンは,1回の舞台で必ず種明かしをしなければならない点で,本当のマジシャンと違いますが)。そういった意味で,この作品での作者のマジシャンとしてのお手並みは,なかなかのものだと思います。それにしてもこのシリーズの真犯人の動機というのは,いつも浮き世離れしていますね。破滅型天才とでもいいましょうか,もしかすると犀川にも通じる部分があるのかもしれません。それはそれでけっこう好きです,個人的に。

 ところで,短編集『まどろみ消去』はともかく,このシリーズにいつもあった「登場人物紹介」が本作品にないのは,なにか意味があるんでしょうか? 全体が奇数章からなるという変な構成だけに,どうも深読みしてしまうきらいがあります。

97/10/11読了

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