楠桂『鬼切丸』20巻 小学館 2001年

 いよいよ最終巻であります。いま1巻を見返したところ,連載が始まったのが1992年ですから足掛け10年,それに先行して1989年から発表されはじめた単発エピソードをあわせれば,じつに12年におよぶ長い作品がついに終幕です。『少年サンデー増刊号』という月刊誌掲載とはいえ,いやはや,息の長い作品でしたね。にもかかわらず,手を変え品を変え,一定のレベルをキープし続けた作者に敬意を表したいと思います。長いこと,お疲れさまでした。
 う〜む・・・それにしても1巻の頃とは絵のタッチがぜんぜん変わってますね。1巻の鬼切丸(じゃなくて鬼切丸を持つ少年か)の顔と目が丸いこと丸いこと(笑)

 さて最終回直前のエピソードは「鬼女の章」前巻登場の鬼魅香との対決です。この作品では,さまざまな欲望や執念,怨み,憎悪が,ときに鬼を呼び寄せ,ときに人を鬼に変えていくという設定ですが,その中での「女」の愛憎がひときわ強く描かれていたように思います。それは「夜叉」に代表されるように,女の情念がより「変化(へんげ)」になりやすいという日本の伝統的な通念に基づくものであるのと同時に,それだけ女性が歴史的に抑圧され,そして今でも形を変えながら抑圧され続けていることの反映とも言えましょう。“鬼魅香”という鬼とは,そんな女たちの情念の結晶化された存在であり,ある意味,実態のない「純粋な鬼」とも呼べます。そういった意味で,「純血の鬼」である「鬼切丸」とは同質の存在なのでしょう。だからこそ鬼魅香は,同質の鬼切丸を愛し,そして憎むのかもしれません。

 ファイナル・エピソード「鬼細工の章」では,「鬼」を追い続けるルポライター後藤紗英,「鬼食い」の法力僧幻雄,鬼姫鈴鹿御前と,これまで登場してきた常連キャラクタ総結集という,いかにも最終回にふさわしい展開となっています。で,敵役は「裏僧伽」哲童。「え? 誰?」と一瞬思っちゃいました(笑) 12巻で終結した裏僧伽をめぐるエピソードで,最後まで出てこなかったキャラがひとりいましたね(やれやれ,長いシリーズだとキャラのフォロウだけでもたいへん^^;; そうそう,前作「鬼女の章」でも,1コマだけ「良子」という少女が回想シーンで出てきますが,こちらは,同じく12巻の「怨鬼哀歌」登場の薄幸の美少女ですね)。
 本作品における「鬼」は,「人からの逸脱」−人の欲望や憎悪を核としながらも,それが肥大化し人であることを辞め,逸脱した存在ですが,本編に登場する哲童という鬼は,むしろ「人間であること」,深い生への執着と世界に対する憎悪を自覚している「人間」でありつづける「鬼」です。いわば,情念や狂気に振り回された結果としての鬼ではなく,それらをコントロールできる強力な鬼として登場します。そう,本当に怖ろしいのは情念や狂気そのものではなく,それらを巧みに制御し,操る力であり意志であるのかもしれません。それゆえに「鬼」であるとともに「人間」でありつづける哲童は,まさに「鬼以上におぞましく,そして,許されざる者」なのでしょう。
 ところで,ラスト・シーンの鬼魅香のセリフ。これは,鬼切丸の復活を暗示するものなのでしょうか? それとも「恋人」の死を知らずに待つ女性の哀しさ・せつなさを表現しているのでしょうか?

01/05/03

go back to "Comic's Room"