とり・みき/田北鑑生『THE LAST BOOKMAN』早川書房 2002年

 「たぶん俺は人よりちょっとだけ本が好きなんだよ。それだけさ」(本書より)

 20XX年,コンピュータ・ネットワークの普及と森林資源の枯渇により,「本文化」は著しく衰退していた。さらに「本」をめぐる価値観の大変動は,書店を舞台にした凶悪犯罪の増加させた。その結果,武器の携行を許された“書店管理官”制度が成立。そして滅亡の淵に立つ「本屋」を襲う謎のテロが続発する中,書店管理官・紙魚図青春は,数少ない1軒の書店を訪れる…

 とり・みきの作品には,ふたつの指向性があります(何回も同じことを書いているようで心苦しいのですが(..ゞ)。ひとつは「ナンセンス」「ギャグ」指向とも呼べるもので,『遠くへ行きたい』は,物語を解体した「ナンセンス」性のひとつの到着点でありましょうし,『Heebie Jeebie』『人達』などは,百科辞典的に分解された「言葉」をギャグの対象とした作品と言えます。一方,『山の音』『石神伝説』といった伝奇作品には,この作者のもうひとつの指向性−「ストーリィ」指向が如実に表れていました。
 もちろん両者は両立しえないというものではありませんが,とり・みきは,おそらく意図的・実験的にふたつの指向性を分けて作品を描いている気配があります。そして両者の融合の試みも,いくつかの作品(たとえば『しゃりばり』のような)で見受けられますが,そのもっとも成功した例が,同じコンビによる前作『DAI−HONYA』でしょう。
 パロディ的な設定を枠組みとしながら,そこに,この作者お得意の昭和30年代ネタのギミックや,トリヴィアルでマニアックなギャグを,「これでもか!」というくらい注ぎ込むことで,全体的にギャグへの偏りが多いとはいえ,一編の「SFアクション」的なストーリィを最後まで維持しています。「ナンセンス」「ギャグ」と「ストーリィ」とが,ぎりぎりのバランスで釣り合っている作品で,今のところ,とり・みき作品のマイベストです。

 さてその続編である本作品の舞台(?)は「西部劇」です(『マッド・マックス』が少し入っているみたいですが(笑))。前作よりも「事態」はより進んでいるようで,地球上からほとんどの書店が姿を消し,「本」は「情報」「ソフト」という名の下に,巨大企業調和社によって独占されるという時代です。さらに謎のテロ−“ゲオルグ”−が続発し,ただでさえ数少ない書店は滅亡の危機を目前に控えています。書店管理官の主人公紙魚図青春は,荒野の中にぽつんの佇む愛宕山ブックセンター(笑)で,“ゲオルグ”絡みの事件に巻き込まれる,といったストーリィです。
 で,今回もさまざまな「小ねたギャグ」があちこちに散りばめられています。個人的に好きなのが「POP UP WEAPON」,要するに「飛び出す絵本」の「武器版」(笑) 思わず,懐かしモードになってしまいます。おまけにそれを使おうとしたら,弾丸のページが「落丁」という,いかにもこの作者らしい脱力オチに苦笑してしまいました。それと調和社のエージェント台宮司真(このネーミングは,社会学者宮台真司のパロディでしょうね)が,厳しすぎる(?)セキュリティ・チェックをようやくパスして入室したのに,ラーメン屋さんが裏口から入ってくるところとか,ギャグとしてはオーソドクスなんですが,やはりその「大仰さ」に笑ってしまいます。
 ただ『DAI−HONYA』に比べると,西部劇&SFという組み合わせが,ストーリィに躍動感を与えていることにもよるのでしょうが,ギャグよりもストーリィの方にやや比重が傾いている感じがします。そのため前作よりも,エンタテインメント性が重視されているのではないでしょうか。たとえば,“ゲオルグ”の襲撃を防ぐために,「肉眼で見える回遊プログラム・金魚」を捕獲するという展開。「金魚」の設定や,アクションたっぷりの捕獲シーンなどは,ストーリィものの「クライマクス」を意識した描き方になっているように思います。
 もちろんそれはそれでおもしろいのですが,前作に見られた作者のばりばりの「趣味性」みたいのがトーンダウンしていて,前作のファンとしては,やや寂しい感じもしないでもありません(もっとも他の作家さんに比べれば,それでも「趣味性」は濃厚ですが^^;;)。

 ところで本作品,掲載誌は『コミック トムプラス』(潮出版)なのに,出版は早川書房。なんででしょうかね? 最初はアスキーから出ていた『DAI−HONYA』が早川から復刊されたからかな?

02/09/18

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