山下和美『不思議な少年』1巻 講談社 2001年

 「僕の人生はこれからずっと何かに試される………!!」(本書「第一話 万作と猶治郎」より)

 さまざまな時代,さまざまな場所に現れる不思議な少年。“彼”は見る・・・人間が抱え込む“闇”と,人間に宿る“光”を・・・そして“彼”は言う・・・「人間て不思議だ」・・・

 これはわたしの単なる邪推ですが,この作者の好シリーズ『天才柳沢教授の生活』には,ひとつの「限界」があったのだと思います。主人公柳沢教授のユニークな(しばしエキセントリックな)言動をコミカルに描いていた本シリーズは,しだいに教授を取り巻くさまざまなキャラクタたちの生き方や考え方を描く方向へとシフトしていったように思います。その描き方は,つねに「柳沢教授」というフィルタを通じてのものです。
 しかし教授の持つ善人性,理知性というフィルタは,人間のプラスの側面を描き出すのには適していても,マイナスの面を表すには必ずしも適していません(それらは教授にとって「理解不能なもの」「拒絶されるもの」として描き出さざるを得ません)。それゆえ,ときに教授というフィルタを通じて描出される人間のプラス面は,やや甘い浅薄なものに感じられてしまう部分がないわけではありません(もちろんそれはシリーズ中の少数派ではありますが)。もしかすると作者自身もその「限界」を感じていたのかもしれません。そのため作者は,新たなフィルタ,つまり本編の主人公“不思議な少年”を創出したのではないでしょうか?

 「第一話 万作と猶治郎」では,「不思議な少年」は,万作の弟猶治郎として登場します。『聖書』にある「カインとアベル」をモチーフとしながら,「闇」と「光」とを抱え込んだ人間の姿を描き出しています。たとえば万作が,祖父満之助の鬼畜の如き悪行の数々を知りショックを受けますが,その一方で満之助が手に入れた莫大な「富」を憧憬の眼差しで見つめます。幼い彼の心の中にさえ,相矛盾する心の揺れ動きがあります。あるいは,欲望の赴くままに生きながら,美しい笛の音を奏でることのできる満之助の姿もまた,矛盾した存在としての人間の象徴なのでしょう。
 人間はつねに「悪魔」にもなりうる可能性を秘めた存在です。しかし同時に,それは「悪魔」にならないことを選ぶことのできる存在でもあります。万作は,「不思議な少年」によって,敬愛する父親が殺人者へと変貌する光景を見せつけられます。けれども,その光景が「幻影」なのか「現実」なのかは,作中において明確には描き出されません。どちらとも取れる描き方が周到になされています。それゆえ,それを「現実」にするのも,「幻影」にするのも,万作の心次第と言えます。最終的に万作は,幼い頃に見せられた光景を「幻影」とすることで(=みずからの弟に対する殺意を幻影にすることで),ギリギリのところで人間としての尊厳を守り抜きます。最初からある「光」よりも,「闇」をくぐり抜けた末の「光」の方が,その輝きははるかに力強いものなのでしょう。
 「第二話 エミリーとシャーロット」では,19世紀のイギリスを舞台にして,人間関係の微妙な陰影を描いています。たしかにシャーロットをして執筆にかきたてたものは,「扉」の向こう側にあるエミリーに対する憎しみなのでしょう。淡々とみずからの人生を受け入れているように見えるシャーロットの心の奥底に隠れ住んでいる憎悪の念なのでしょう。しかしそこが人間関係−とくに本編のような「幼友達」の間の関係の不可思議で微妙なところなのでしょう。愛しながらも憎み,憎しみながらもどこかで許している・・・そんなあやういバランスの上に立っているものなのかもしれません。ラストで「扉」が完全に開いた向こう側にシャーロットが見たもの,驚きと喜びの入り交じった表情を浮かべながら見たもの・・・それはオープニングのカラー・ページあるような緑なす草原−それは楽しかった幼少時の記憶−だったのかもしれません。
 そして「第三話 狐目の寅吉」の舞台は戦国時代。若き野盗の総領“狐目の寅吉”の,短いながらも鮮烈な「生」を描き出しています。作中,夜盗のひとりが寅吉を非難する口調で「馬も俺たちもしょせん獣だってことかよ…」と呟くシーンがあります。もし寅吉がそれを聞いたら,おそらく笑顔を浮かべながら「そうだ」と答えていたのではないでしょうか。そう,寅吉にとって,なによりも大事なことは「生きる」ということです。それを前にして,善も悪もない,神も仏もありません。いやむしろ,苛烈な「生」を直視できず,神仏に頼って「死んだように生きている大人たち」に対する徹底的なまでの拒絶であると言えましょう。
 ですから「生きる術」を持たない子どもたちを保護し,料理の仕方,馬の乗り方などを教えることは,彼の生き方にとって,けっして矛盾するものではありません。寅吉にさらわれた子どもたちは,大人たちにとって,すでに「死んだも同然」です。彼らが生きていくためには,大人を頼ることはできません。つまり寅吉が子どもたちに教える技術は,大人を頼らず,さらに言えば「神仏に頼らず」に生きる手段に他ならないのです。それゆえ,彼の行為は「慈愛」とか「善意」というよりも,まさに仔狐に狩りの仕方を教える親狐のようなところがあります。
 「生きろ」・・・子どもたちに残した寅吉の最後の言葉に,このエピソードのテーマが集約されているように思います。

 わたしにとって,岩明均『雪の峠・剣の舞』とともに,今年(2001年)読んだコミックで1,2位を争う佳品です。

01/11/05

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