岩明均『雪の峠・剣の舞』講談社 2001年

 「帯」の文句によれば,SF『寄生獣』,伝奇SF『七夕の国』,日常ドラマ『風子のいる店』と,さまざまな素材を描いていてきたこの作者の,「初の歴史作品」だそうです。しかしはじめての歴史作品とはいえ,さながら老練な作家が描いた短編小説のごとき深い味わいを持っているのは,まさにこの作家さんの「職人芸」とでもいうべき力量でしょう。

 「雪の峠」の舞台は,関ヶ原直後の出羽国佐竹藩です。西軍に与したため,徳川家康によって,常陸国から出羽国に移封された佐竹家。新たな「府」決定をめぐる,若い藩主佐竹義宣とその寵臣渋江内膳一派と,旧来の重臣団との確執・抗争を描いています。
 それはちょうど,戦国の世から泰平の世へという時代の変化がもたらす世代間闘争として現れています。戦国遺風を尊び,軍事優先で城を構えんとする重臣団と,平和な世の中での経済発展を目指す義宣・渋江の丁々発止の駆け引きは,じつにサスペンスフルです。とくに,前藩主義重の片言を巧みに逆手にとり自己の主張を通そうとする重臣団に対して,家康をも巻き込み,乾坤一擲の逆転劇を演じる渋江内膳の知略は,じつに痛快であり,「ぞくり」とくる鮮やかさに満ちています。
 さらにその逆転の後に待ち受けているショッキングなラストは,一見のほほんとした「若殿様」風の義宣が,じつは冷徹なまでのマキャベリストとしての顔も持ち合わせていることを如実に表しています。そして,涙しながら「常陸へ・・・峠の向こうへ・・・還りとうござる」と呟く重臣に対して,冷たく「還るがよかろう」と答える義宣の姿は,「時代の変革」なるものが,けっしてきれいごとだけでは済まされない,シビアなものであることを描ききっています。
 そう考えると「雪の峠」というタイトルもまたすごく意味深長なものに見えてきます。「峠」とは「時代の変化」を意味していましょうし,その「雪」で覆われた峠を越えるには,並大抵の認識と覚悟ではとうてい不可能であることを象徴しているように思います。あるいはまた,苦難の末に越えてきた峠は,すでに雪に埋もれ,引き返すことはできないとも・・・
 この作品は,『寄生獣』と並んで,この作者の代表作になるのではないかと思います。

 もう一編「剣の舞」は,のちに剣客として名を馳せた疋田文五郎景忠の若き日の姿と,彼の弟子となった少女ハルナとの交流を描いてます。文五郎が終生使い続けたといわれる「撓(竹刀)」の「始まり」をめぐるエピソードとして仮構されたのかもしれません。
 頃は乱世,武田軍の兵士たちに犯され,肉親を惨殺されたハルナは,彼らに復讐するために文五郎の元へ弟子入りします。ちょうど師匠上泉秀綱が創案した「撓」を用いて,文五郎はハルナに剣を教えます。そして武田軍来襲の際,ついにハルナは宿敵の姿を見出し・・・と話は展開していきます。その戦闘シーンは,「静」と「動」とを巧みに用いた,この作者お得意の画面構成で,迫力を持って描き出されています。
 しかし,ハルナは敵討ちを果たして戦死し,生き残った文五郎を,ハルナの友人与吉は罵ります。「しょせん剣術なんざたかが知れてるぜ。何しろ天下一が2人そろって城1つ,女1人,守れねえんだからな!」と。文五郎は,「そうだな・・・たかが知れてる・・・」と目を伏せながら答えるしかありません。のち,柳生宗厳との試合を直前に,ハルナとの想い出を回想するシーン−何かをこらえるように目を閉じてから,「それは悪(あ)しゅうござる」と呟くシーンは,文五郎と,一瞬だけ人生が交わり,彼の心の奥底にその姿を留めたハルナと,彼女に対する彼の無力感にも似たせつない想いを,見事に切り取ってみせています。木刀よりもはるかに相手を傷つけることのない「撓」に文五郎がこだわったのは,そんなハルナに対する愛惜によるものなのかもしれません。

01/04/02

go back to "Comic's Room"