山岸凉子『ハトシェプスト』文春文庫 1998年

 5編よりなる短編集です。

「ハトシェプストI」「ハトシェプストII」
 『封印』『ツタンカーメン』につらなる「古代エジプトもの」です。サブタイトルに「古代エジプト王朝唯一人の女ファラオ」とありますように,女ファラオ・ハトシェプストを主人公としたふたつのエピソードです。内容的には「I」が彼女のファラオ即位直前の時期を描き,「II」は彼女の少女時代が舞台です。
 まず「II」は,ハトシェプストの父親トトメスがヌビアから,ミケネ(クレタ島)の巫女ロドピスを連れ帰ったところから始まります。次期ファラオの地位をめぐって宮廷内では陰湿な駆け引きが行われています。ロドピスはそれを巧みに操っていきます。彼女の思惑は奈辺にあるのか? さらに彼女は宮廷で孤立するハトシェプストを誘惑,「おまえは王(ファラオ)になる」と予言します。さながらハトシェプストの生涯を描くためのプロローグのような感じです。
 ところでハトシェプストを誘惑するロドピスの姿―豊かな乳房を見せ,両手に蛇を握る姿は,たしかミケネで似たような人形が発見されていたのではないかと思います。その人形自身,かなりエロティックが雰囲気をたたえていますが,この作者が描くと,さらに凄みを増しますね。
 「I」は成長したハトシェプストの前に,ふたりの姉妹巫女が現れます。妹はおつむが弱いけれど,出血を止めるという能力を持ち,姉は自覚はしていないものの未来を予知する力があります。そして彼女もまたハトシェプストに「王(ファラオ)になる」と予言します。しかし姉妹巫女は,美しく,孤高で,そして冷たいハトシェプストの「紫色の瞳」に人生を狂わされ,妹は死に,姉もハトシェプストの前から姿を消します。
 このエピソードは,ハトシェプストを恐れながら,恋いこがれる姉の姿を描いてエンディングを迎えます。このラストは,こののちの展開の伏線のような感じがし,長篇作品になるところを,なぜかエピソードふたつで中断してしまった,というような印象を受けます。全体的に中途半端な感じがする作品です。しかし両編ともに,レスビアンの雰囲気を濃厚にたたえた,「ゾクリ」とくるエロチシズムを持っています。

(98/06/25追記:深川さんから,文春文庫に掲載されている「初出年」は間違っているというメールをいただきました。調べてみたところ,掲載されている「I」と「II」の初出年が実際には逆になっているようです。つまり発表順は「I」→「II」ということになります。感想のおおよそはあまり変わらないのでそのままにしておきます<ずぼらともいう(^^ゞ。
 それと「山岸涼子(さんずい)」じゃなくて「凉子(にっすい)」だったんですね・・・。ずぅっと「涼子」だと思ってました。うう,恥ずかしい・・・(*o*)。深川さん,ご教示ありがとうございました。)

「キメィラ」
 女子大の寮にはいった“わたし”,そのルームメイトは,まるで男装の麗人のごときボーイッシュな女性。すっかり彼女にまいってしまった“わたし”だが,彼女の奇妙な行動に疑惑を抱き・・・。
 ルームメイトは殺人者,というサスペンスものです。う〜む,“わたし”の描き方が少々コミカルに過ぎ,いまひとつ緊張感に欠けるうらみのある作品です。またルームメイトが××××だったというのも,設定にうまく生かされていないようなところがあって・・・。しかしサイコパスが,人間以外の動物や植物にやさしいというのはけっこう聞きますね。
「海の魚鱗宮(わだつみのいろこのみや)」
 父親の十三回忌で,娘とともに12年ぶりに故郷に戻った寿子。彼女の記憶の奥底に眠るひとりの少女,いったいそれはなにを意味するのか・・・。
 記憶の中の少女は誰なのか? なぜ忘れていたのか? “わたし”は彼女に何をしたのか? いわば「失われた記憶もの」のサスペンスです。二重三重にツイストするラストは,ミステリとしてなかなか楽しめました。陰惨な事件を扱っていますが,最後に救いがあって,ホッとします。
「スピンクス」
 その頃“僕”は魔女の館に住んでいた。真っ白な部屋の中で立ち尽くす“僕”は,彼女の許しがなければ,手足を動かすこともできない。彼女―スピンクスの許しがなければ・・・。
 本作品集で一番古い作品で,初出は1979年。この作品,好きなんですよね。最初に読んだときは,前半の不可解な状況と後半での“真相”の判明というミステリアスな展開を楽しみましたが,結末がわかって,改めて前半を読み返すといろいろと考えさせられます。たとえば主人公のスピンクスに対する感情,
「地獄だ,地獄だ!(それでも彼女の腕は暖かい)
声があるなら叫びたい,涙があるのなら泣き出したい(それでも彼女の胸は暖かい)」

 狂的なまでに息子を愛する母親,死後まで彼の心を縛り付ける母親,主人公は彼女を恐れながら,それでも彼女を受け入れざるを得ず,さらにそれを「暖かい」と感じるアンビヴァレンツな感情。それは非常に極端な形で描かれながらも,どこか母親と息子の間の一般的な関係を感じさせるものがあります。それに対する主人公のラストでのつぶやき。
「あの陽光の中にときどきかげって見えるのはあれは・・・,そうだ今は少しも怖ろしくない魔女・・・・スピンクス」
 愛するものと愛されるもの,そこにはやはりある程度の距離が必要なのかもしれません。たとえそれが親子であったとしても・・・。

98/06/16

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