朝 礼 訓 辞

平成25年7月2日

  梅雨たけなわで毎日よく雨が降ります。
 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ、夏ノ暑サニモマケズ、丈夫ナ体ヲモチ、欲ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニ笑ッテイル。
 ご存知の通り、宮沢賢治の詩です。
おそらく、日本で一番有名な詩であると言われています。国歌「君が代」をきちんと歌えない人も、日本国憲法の前文を覚えられない人でも、賢治の「雨ニモマケズ」の冒頭の数行だけは暗唱することができると言われています。
 
 宮沢賢治は、明治29年、岩手県に生まれています。家業は古着屋さんでした。当時、岩手県では水害や冷害による飢饉が続きました。農民は貧困にあえぎ、女の子の人身売買が跡を絶ちませんでした。
 賢治はこうした農民の苦しみを身近に感じながら育ちました。

 小学校三年生頃から童話を読み、昆虫や鉱物に興味を示し、石ころの採集に熱中したそうです。
 県立盛岡中学から盛岡高等農林(現岩手大学農学部)に入りますが、成績はいつも一番だったということです。

 この頃ある女性に恋をしますが、これはかなえられぬ初恋だったようで、失恋してしまい、それ以来、生涯、妻をめとらず、女性に対する禁欲を貫きました。
 
 文学と詩に目覚め、「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」、「ドングリと山猫」など童話や詩を沢山残し、37歳の時、結核に似た病気でなくなっています。

 貧しい人に心を痛め、元気のない人に勇気を与え、いつも静に笑って居られるような人に私もなりたいといつも思うのですが、まだまだ修行がたりません。

 住吉に来て早3ヶ月が経ちました。あちこち不自由をおかけしていますが、事務長を始め皆様ができるだけ、速やかに対応して下さっていますが、軌道に乗るまで、皆様と一緒に頑張りましょう。
 今月も何卒よろしくお願い申し上げます。

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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