朝 礼 訓 辞

平成25年4月1日
せいざん病院移転の日

  皆さんお早うございます。今日は祈念すべき新築移転の初日です。有馬先生の跡を引き継いでから7年目の出来事であります。

 皆さんには、いろいろご心配やらご迷惑をおかけしながら、やっとの思いで辿り着きました。
 誰のおかげでもない、ただただ皆さんのご協力があったからこそであると感謝しております。
 これからも困難なことがあるかもしれませんが、皆さんと一緒に頑張れば、きっと種子島と屋久島の心を病む人々のためにお役に立てる病院となれると信じていますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

 今日から福元先生、来週から吉嶺先生が常勤医として勤務してくださることになりました。他の新入社員の方々も一緒に頑張りましょう。

 高村光太郎という詩人がいました。奥さんは長沼智恵子という女流画家でした。お互いに尊敬し合い、愛し合った仲睦まじい夫婦でしたが、結婚生活の途中で、奥さんが突然精神疾患にかかり、光太郎の必死の看病や医師の治療の甲斐もなく、最後は結核になり、亡くなります。

 心の病を抱える妻との美しい夫婦愛を描いた詩集「智恵子抄」をお読みになった方もおられるでしょう。「智恵子は見えないものを見、聞こえないものを聞く…」で始まります。

 智恵子は亡くなる前、ハサミで色紙を切りながら見事な紙細工を作っています。
 我を忘れて作品作りに没頭する姿、全てを投げ出して、美しい作品に、己の全てを注ぎ込む姿。

 私達のせいざん病院にも似たような一日中紙をちぎっている患者様もいますが、智恵子も“せいざん”の患者様も同じ人格を持ち、死ぬ日が来るまで一生懸命に生き抜いていかれるのです。

 高森光太郎が、智恵子を愛したように、私達も一人一人の患者様を愛し、優しくいたわり、最善の看護、介護を続けて参りましょう。
 それが為されるならば、“せいざん”はきっと立派な病院として成長していくことでしょう。

 新しいこの4月も何卒よろしくお願い致します。
医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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