朝 礼 訓 辞

平成24年11月1日

  「日本の偉人100人」という本が出版されました。
その中の一人に中村久子さんという人がおられます。

 3歳の冬、突然、足に激痛が走りました。突発性脱疽、いまで言うASO、動脈閉塞静血管炎ではないかと思われます。
当時は肉が焼け、骨が腐る難病で切断しなければ命が危ういと言われました。
 それからまもなく、少女の左手が5本の指を付けたまま手首からポロッともげ落ちました。
 悲嘆の底で、両親は手術を決意します。少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされました。

 少女は達磨娘(だるま)と言われるようになりました。少女が7歳の時、父が死亡。そして9歳になった時に、それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変します。
猛烈な訓練を始めるのでした。手足のない少女に着物を与え、「ほどいて見よ」「鋏の使い方を考えよ」「針に糸を通してみよ」出来ないとご飯を食べさせてもらえない。

 少女は必死でした。小刀を口にくわえて鉛筆を削る。口で字を書く。歯と唇を動かし、肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。その糸を下でくるっと回し、玉結びにする。文字通りの血が滲む努力。それが出来るようになったのは12歳の終わり頃でした。

 ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやりました。その着物は唾でベトベトでした。幼友達は大喜びでしたが、その母親は「汚い」と言って川に投げ捨てました。それを聞いた少女は、「いつかは濡れない着物を縫ってみせる」と奮い立ちました。
 少女が濡れていない単衣(ひとえぎぬ)一枚を仕立て上げたのは15歳の時でした。

 この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのです。
彼女はこう述べています。「両手両足を切り落とされたこの体こそが、人間としてどう生きるかを教えてくれた最高最大の先生であった。」
そしてこう断言します。
「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない。」

 皆さん、どんな苦しいことがあっても、悩みがあっても、お金がなくても、決してくじけることなく頑張りましょう。

 いよいよ冬が間近でインフルエンザの季節です。
体には気を付けて自分のために患者さんのために働きましょう。

    (致知11月号 「一念 道を拓く」より抜粋)

医療法人純青会 せいざん病院
理事長  田上 容正

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