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 それから4日たった。放課後、ぼくは、横山と二人で双葉通りのゲームセンターに行った。この時間は、学校帰りの学生で溢れている。大窪たちも来ていて、二階のカラオケボックスに行かないかと誘われた。ブランデーを1本、酒屋から掠めてきているのだと言った。結局、断り、横山と”鉄拳”の対戦ゲームをやった。こんなに自由でいいのかな?何となく、そんなことを考えた。
 ぼくと横山はサッカー部に所属している。だから、今の時間はグラウンドで練習をしていなければならない。だが、もう1年近く、まともに練習に行っていないのだ。
 昨年の始め、高校に入り立ての頃、中学時代の仲間5人でサッカー部に入った。ぼくらの出た小学校と中学校にはサッカー部が無かった。だから、本格的に練習するのは、その時が初めてだった。隣の中学から来た連中は、小学校の頃からずっとサッカーをやってきている。だから、実力の差というものは、それはそれはもの凄いものだった。だから、その中学の連中は、高校入学したての頃からレギュラーで、ぼくらの中学出身者は、頑張って練習した挙げ句に、3年の引退前にようやく試合に出れるかどうかだった。公式の試合で、3年生の補欠選手が、1年生のセンターフォワードを応援する姿は、悲惨を通り越して、滑稽でさえあった。
 ぼくは、昨年、サッカー部に入り、スパイクとソックスを買った日に、枕元に置いて眠った。以後、それは真面目に練習に行っていた。練習の前半は、パスやシュート、コンビネーションが主で、まともに練習が出来た。だが、後半は、ミニゲームとなり、レギュラーだけしか練習が出来ない。レギュラーになれない残りの部員は、全員で練習場の周りを囲むようにして立ち、ボール拾いをしながら、「〇〇さんファイトー!」「△△さんドンマイー!」などと声を出す練習だ。声出しの部員の数は、全部員の3/4にも上る。
 3年生の先輩たちが、声を張り上げている姿を見ながら、しばしば、将来の自分の姿を重ね合わせた。そうやって、夏休みに入ってしばらくした頃には、ほとんど練習に行かなくなっていた。現在、一緒に入った5人のうちで、まともに練習に行っているのは1人だけになってしまった。あとは、辞めたり、ぼくみたいに幽霊部員になったり...。
 練習に行く気がないのなら、さっさと辞めてしまえばいい。なのに、いつまでもダラダラと所属している訳は、ただ、サッカーをやっているということが聞こえがいいからだ。誰かに、「部活は何をやっているか?」と聞かれたときに、「何もやっていない。」と答えるよりも、「サッカー部。」と答えた方がいい。先生たちに「お前がグラウンドで練習をしているところを見たことがない。」と言われれば、「最近、テストの成績が悪いので、勉強に専念するために休部しているのです。」と答える。
 今でも、たまに先輩が教室にやって来て、ぼくと横山に練習に来るように忠告する。ぼくらは、適当に茶化したり、たまに、練習の終わる頃に行って、最後のランニングだけやって帰る。サッカー部の先輩には、何故かそれほど怖い先輩がいない。だから、こんな勝手な行動もとれるのだ。隣で練習しているラグビー部だったら、練習を休むことも、部を辞めることも出来ない。校内の有名な先輩方が揃っているのだ。
 こんなに自由を満喫できるのも、もうしばらくかもしれない。来年は高校3年生。受験勉強に明け暮れるのだろうか?ぼくは大学にいきたい。
 ゲームを一通りやってから、ぼくと横山は2階に行ってみた。カラオケボックスのカウンターで、店員に大窪たちの部屋を聞いた。廊下を歩いていき、部屋を窓から覗くと、大窪たちが、酔っぱらってヨタヨタしながら騒いでいるのが見える。ぼくと横山は目を見合わせ、今から合流するのシンドイということで合意し、家に帰ることにした。
自転車で家に帰り着く頃には、もうすっかり暗くなっていた。
 家に着くなり、かあさんが言った。
 「封筒が届いているわよ。」
玄関の靴棚の上に置かれた封筒は、ぼくが4日前に出したものだった。
 「宛先不明で帰ってきたみたい。ねえ、岬玲子って誰?ねえ、」
 かあさんの口から発せられた”岬玲子”の言葉に、ぼくは一瞬、恥ずかしさを覚え、冷静さを失いそうになったが、すぐに平常心を取り戻して、声を落として答えた。
 「街で教科書を拾ったんだ。住所と名前が書いてあったんで郵送したんだよ。」
 日記帳とは言わずに教科書と言った。あまりにも落ち着き払った言い方をしてしまったので、かえって変だった。
 「ねえ、かあさんにちょっと見せてみて、何か解るかも...。」
 ぼくは、聞こえないふりをして自分の部屋に行った。途中、居間に、とうさんと妹がTVを観ているのが見えた。  
部屋の本棚の裏に封筒を隠してから、平静さを装い、居間へ向かった。とうさんと中二の妹は、”ドリフの大爆笑スペシャル”を観ながら大笑いしている。ブラウン管では、最近人気が復活してきた加藤茶といかりや長介が全身ビショ濡れで追いかけっこをしている。とうさんは、ただ一言「はやく飯を食え。」と言っただけで、再び笑い始めた。
 ぼくは、さっさと風呂を済ませてから、晩飯を喰った。母が隣に座って話し始める。
 「もっと早く帰ってきなさい。晩ご飯はみんな一緒に食べないと...。」
 ぼくは、封筒のことに話が及ぶ前に先手を打つ。
 「今日は、何をしてたの?」
 するといつもの様に、母のとりとめのない話が始まった。親戚や近所のオバサン達のどうでもいい話が延々と続く。ぼくは適当に相づちを打ってから、話の途中で「勉強をする。」と言って自分の部屋に引っ込んだ。
 そっと封筒を取り出した。表に「宛先不明」の印が押してある。音がしないように封筒を開けて「日記帳」に書いてある住所と自分の書いた宛名を見比べてみたが、書き間違えてはいなかった。
 そもそも「日記帳」に書かれた住所が間違えていたのだろうか?それとも、この数日のうちに彼女が引っ越してしまったのだろうか?彼女との接点はもう永久になくなってしまったのだろうか?せっかくここまで関わったんだ。何とかして彼女を捜したい。
ぼくはトイレに行くフリをしながら,玄関の近くに置いてある電話帳を自分の部屋まで持ってきた。
 菜原市内で”岬”という名字を探したが一人も居なかった。電話帳に載っている菜原市周辺の町を調べてみても結果は同じだった。
 電話帳に名前を載せない人は大勢居る。だから,彼女がこの街に居ないという証拠にはならない。
 他に彼女を捜し出す方法はあるだろうか?
 警察に行って聞くか?しかし,どう聞けばいい?「親戚の岬玲子さんを捜しています。」とでも言うか?それで本当に彼女に引き合わされたらどうする?何と言えばいい?それとも正直に「日記帳」を拾ったのだと言うか?そしたら,”落とし物”として取り上げられるだけではないのか?
 ...............。
 ...............。
 「日記帳」の中身を読めば、彼女についての詳しい情報が判るかも知れない。勤め先、もしくは通っている学校...。何か手がかりが掴めれば、そこに届けに行けばいい。そう、彼女にこの「日記帳」を返すために、中身を読むのだ。これはプライバシーの侵害ではない。
 ぼくは、勉強机の上に置かれた「日記帳」の表紙をめくり、1月1日の日付が打ってあるページを広げた。シャーペンで書かれた文字が綺麗に並んでいるのが見える。しかし、ただ、ぼくは、漠然と眺めているだけで、読もうとしていない。心に何か葛藤がある。
ぼくは、ただ純粋に、「彼女に返すための手がかり」を得るためだけに読もうとしているのだろうか?いや、それは違う。
 必要な情報は「彼女に返すための手がかり」だけのはずだ。しかし、この「日記帳」を読んでいくということは、彼女自身を知ってしまうということだ。彼女がどういう女性なのか、いつも何を考えているのか、何に興味があるのか、何に悩んでいるのか、そういうことを全て知ってしまうということなのだ。人に知られたくない秘密が書かれてあるのかもしれない。そして、ぼくが知りたいのは本当はそこなのだ。
 彼女のことを全て知ってしまった後で、この「日記帳」を返すときに、どういう顔をして返せばいいだろうか?「中身は読んでません。」と真顔で言ってしまうのだろうか?
 やはり、読むのはやめておこう。明日、
        菜原市つつじヶ丘二丁目5−2
へ、行ってみよう。何か解るかもしれない。

つづく...

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