平家落人伝説地  大浦・大木場  おおうら・おおこば    

薩摩半島の西の端に、平家落人伝説地があります。昔話にも、太鼓「盆」踊りの歌詞の中にも
平家伝説が残されています。昔話は、そのまま伝統行事として、長い間続けられています。
そのお祭りを主催するのが、現在も平家落人の宗家と言われている金子家が執り行っています。

むかし話
この村は、平家の落人の村で、まだ残党狩りをする源氏の追手が探索をしていました。
村の入口に大きな草履を編み、脱ぎ捨ててある様に置いて置いたところ、これを見た
追手は、「こんなに大きな人間がいるところはご免だー」と退散したそうです。それから
大きな草履を編んで、神社に毎年奉納するようになったそうです。これは、毎年12月の
最初の申の日に行われている山神祭り「草履踏み・ぞいふん」の伝統行事です。

 山神祭り「草履踏み・ぞいふん」  太鼓「盆」踊り

もっと詳しいお祭りが見たい  山神祭り


  金子家系図
                       ―
                       ―
桓武天皇――高望親王――国香――定盛――維盛――信孝―
                       金子肥前守@ 
                                  C
―信重――盛将――盛久――盛治――信高――信常――信胤――信節――信忠
         A                B       ―信行
                                 ―信家
                                 ―信光

注@ 是ヨリ金子氏始給、朱雀天皇御時肥前合戦忠節ニテ肥前・・
注A 盛久 源氏頼久公八幡太郎義家御時平家阿部之貞任宗任・・
注B 信胤 下総介五位 小松殿ヨリ備前国内杉間州五貫ヲ給・・
注C 信忠 金子兵庫頭 家内男女冊六人下向 
     源氏頼朝公ムホン之時平家一之谷ニテ打負セメオトサレテ
     備前児島ニ隠篭、其時源氏方ノ定綱カ許事ニヨリテ三男
     盛綱カ先鋒渡其合戦ニツイニ打負セメオトサレテ薩州
     カゴノ内始テ、浦入下向仕リ其ヨリ始ノ浦ニ住シ右合戦
     干時元暦元年甲辰十月二十六日之事ナリ。
     薩州ニ下向者辰ノ十二月廿九日七ツ時ニ始テ浦ヘ船ヲ付其
     ヨリ三年ハ始ノ浦ヘ住ヲ仕リ其後木場之谷ヘ切ヤケヲシヤシ
     キト定メテ住スル也、次男信行ハ始浦ニ文治二年丙年八月廿
     四日ヨリ有、其ヨリ小木場ノ里ヲシアゲ仕高十二貫ヲシアゲトル也

「文書」 1
下向之大将北条殿・菊地殿・村田・三原・三浦・相本・佐野・石井・長井・山本
橋本・松本・岩本・柳本・小笠原・桑山・中河・酒井・梶原・石川・浦見・杉原・
森田・山野上・橋口・川野・町岡・宇戸
小松殿・上野・秩父・千葉・相馬・大須賀・東・伊吹・松浦・村岡・河越・長谷河・
岡山・阪本・安部・仙石・安藤・岡部・内藤・大窪・内田・立山
七嶋○硫黄嶋竹嶋黒嶋屋久嶋是ニ有
       金子兵庫頭家内冊六人内男廿人女十六人下リ
       次男信行十郎太三男信男三郎四男信光四郎
           金子兵庫頭
           平 信忠 花押
 元暦元年申辰十二月廿九日

金子家系図から一の谷合戦に破れ、再軍備中、備前児島でも敗れ、枕崎の始の浦「現在の神の浦・下の浦付近」に到着。
このあたりに、昔は熊野権現宮があった。金子一族はここに3年過ごし、兄は一族を連れて大浦小木場「大木場」に、
次男は7家族で、この花戸川を遡り、田布川の地を安住の地として移って行った。枕崎・田布川も参照

大木場集落を行く奇祭行列

大浦町でも、大木場は他の集落と同じ伊勢講でも、行事が変わっていて、午前の山登り信仰と、午後のこのオンケの奇祭がある。
山登りは写真画面中央の尖った形の山・磯間岳に・
伊勢講の詳しい祭り・
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参考資料 大浦町郷土史 枕崎市史