ローレンス・ブロック『頭痛と悪夢』光文社文庫 1999年

「私は最近こんなことを思うようになった,すべては変わって当然だが,だからといって,そのことを好きになる必要ないのだとね」(本書「ダヴィデを探して」より)

 「英米短編ミステリー名人選集」の第4弾は,アメリカ・ミステリ界の大御所です。この短編集には,複数のシリーズものの1〜2編がごちゃごちゃに入っています。そのため,そのシリーズものを知らない(たとえばわたしのような)読者にとっては,各編のシチュエーションを把握しづらいという難があるようです。
 気に入った作品についてコメントします。

「ダヴィデを探して」
 妻とともにフィレンツェを旅行中の“私”マット・スカダーは,かつて逮捕した殺人犯と再会し…
 この作品と,「慈悲深い死の天使」「夜明けの光の中に」は,ハードボイルド・ミステリのマット・スカダーシリーズです。ミケランジェロの有名なセリフを,グロテスクに読み替えているところが,なんともショッキングです。淡々とした描写とのギャップが,そのサイコ風味を倍加させているように思います。また冒頭に引用した言葉に勇気づけられたりします(笑)。
「夜明けの光の中に」
 飲み屋で知り合った男の妻が殺された。逮捕された犯人は夫に頼まれたという。“私”は犯人の周辺を探るよう依頼され…
 “私”が探り出したことが,悪意に満ちた策略に利用されるという意想外な展開,それを逆転させるものの,けして爽快感を伴わない結末。重苦しく,やりきれないトーンに満ちた,ハードボイルドの佳品だと思います。「神の役を演じたいという衝動は,酒とともに蒸発してしまったようだ」というセリフが,「名探偵もの」への強烈な皮肉になっているのかもしれません。本作品集で一番のお気に入りです。
「ケラーの責任」
 ターゲットの下見のために訪れた“私”ケラーは,そこでプールで溺れた少年を助けたことから…
 本編と「ケラーの治療法」は,殺し屋ケラーを主人公としたシリーズのようです。ターゲットと深く知り合ってしまったために生じる主人公の懊悩が丁寧に描き込まれています。ラストの余韻もいいですね。
「泥棒は煙のにおいをかぎつける」
 ネロ・ウルフの稀覯本を売りにコレクタを訪れた“私”は,密閉された書庫で死体を発見する…
 アメリカのミステリ界では絶滅してしまったのではないかと思っていた^^;;密室殺人です。この作品の“凶器”については知識があったので,見当はつきましたが,そのトリックや,それを解き明かす推理のプロセスは,なかなか楽しめました。ところで,この作者はネロ・ウルフのファンなのでしょうか?
「エイレングラフの確認」
 父母を惨殺したとして逮捕された若者の弁護を依頼されたエイレングラフは…
 はたしてこの弁護士はどこまで手を下したのか? そこらへんを想像すると,なんとも不気味な作品です。この作品がシリーズものであると知っているか知らないかでは,ちょっと印象変わるかもしれませんが・・・
「フロント・ガラスの虫のように」
 気に入らない運転手に殺意をおぼえたことを仲間に語ったトラック運転手は…
 車に乗っていると不思議な感覚をおぼえます。乗っている車の大きさが,自分自身の大きさのように感じられてしまうのです。ですからこの主人公が最後に陥る“狂気”を,「あぶないなぁ」と思いつつも,どこか心の隅で理解している自分を見出し,ぎくりとさせられます。『自由への一撃』所収のこの作者の作品「自由への一撃」と通じるものがあるように思います。

98/06/02読了

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