大沢在昌『雪蛍』講談社文庫 1999年

 薬物中毒者の更正施設「セイル・オフ」に勤める“私”佐久間公は,かつて「失踪人調査士」であった経験から,ときに失踪人の捜索を依頼されることがある。今回の依頼は,17歳の家出娘の捜索。だが彼女の周囲にはヤクザがらみのきな臭い匂いが立ちこめていた。少女はなぜ追われるのか? 一方「セイル・オフ」では,“ホタル”と呼ばれる放火癖のある少年に手を焼いていた・・・

 さて本書では,『感傷の街角』などで活躍した若き探偵佐久間公が,40歳代になって再登場します。かつてその「若さ」ゆえに,若者の失踪人調査を得意としていた彼は,(誰もが同じように)若さという特権を喪失し,それとともに,探偵を辞め,東京を去ります。そして,清水で薬物中毒患者の世話をする彼が,ふたたび探偵として復帰するまでの軌跡が描かれます。

 作者は,彼の探偵への復帰の契機としてふたつの“事件”を設定します。ひとつは,「セイル・オフ」に入所した“ホタル”と名乗る青年。彼はすべてに無関心で,薬物中毒から治ろうとする意思を見せません。おまけに放火癖があり,「セイル・オフ」でも何度か放火をしたという前歴があります。“私”は,そんなホタルに苛立ちながらも,彼と妹・麻里との間にわだかまる感情の齟齬が,今のホタルを産みだした原因ではないかと調査し始めます。
 もうひとつの事件は,隠然たる権力を持つ“木暮ファミリー”の一人娘・雪華の失踪です。単なる駆け落ちにしか見えない彼女の行方を,ヤクザが追い,またかつて主人公の命を救ってくれた探偵岡江もまた追います。いったい彼女の失踪にはいかなる謎が隠されているのか? そして起こる殺人事件。少女の失踪劇と殺人はどこで結びつくのか?

 ストーリィ的には,後者の事件がメインとなるのでしょうが,主人公の探偵としての復帰にとって重要なのは,むしろ前者のホタルの方ではないかと思います。「探偵」という仕事は,他人のプライバシィに土足で踏み込み,人を傷つけ,追いつめてしまう・・・「それは果たして本当に必要なことだったのだろうか。このことで誰かが不幸になるとは思わないが,幸福になるわけでもない。」「私は迷っているのだった。自分の居場所を見つけられず,途方に暮れているのだった。」  しかしホタルの事件―主人公の「調査」によって兄妹の確執が明らかにされ,そのことが「崩壊」ではなく,「再生」へと結びついていった事件を通じて,主人公は「探偵」へと復帰していきます。作中の女性のひとりは彼にこう言います。
「ふつうならどうやっても傷つけてしまうような仕事を,あなたなら傷つけないでやれる。傷つけるとしても,最小限の傷ですませられる。きっと,あなたは,あなた以上にすぐれた人に会ったことがない。探偵として」
 そして主人公はひとつの結論に到達します。「探偵では仕事ではない。生き方なのだ」と・・・

 それに対して,雪華の事件では,祖母・母・娘三代に渡る妄執と愛憎が渦巻き,さらに権力や金銭欲が絡み合うおぞましい人間関係を露わになります。また事件そのものは解決しても,そこには拭いきれない蟠りが残ります。主人公は言います。「何だってそうさ。生きている限り,何にでも終わりはない」と。
 つまり,「雪華」の事件と「ホタル」の事件とは,ちょうど「探偵」という行為がもたらすもののふたつの側面―「再生」と「崩壊」―を表しているようにも思えます。

 タイトルの『雪蛍』は,多少ダジャレめいてもいますが,そんな「探偵」を象徴しているのかもしれません。

98/04/03読了

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