大沢在昌『感傷の街角』角川文庫 1994年

 十数人の弁護士を擁する早川法律事務所の調査二課ー失踪人調査課ーの調査員・「僕」こと佐久間公。その若さゆえか,十代二十代の失踪人調査を任されることが多い彼は,華やかな夜の街の中に姿を消した少年少女たちを追って,イルミネーションの奥底に潜む闇の中へと,今日も歩を進めていく。そんな彼が出会った,少年少女たちをめぐる7編のもの悲しい事件簿。

 この物語は,はたして「ハードボイルド」なのだろうか? 読んでいて,なんども問いかけざるを得ませんでした。設定はたしかにハードボイルド小説によく見かけるものです。失踪人の調査依頼と探偵,繰り返される探偵の質問,転がり出る死体,暴力団や暴走族といった都会のダークサイドなどなど。
 にもかかわらず,この物語の主人公は,みずからを「僕」と呼び,タフでいながらナイーブでセンチメンタルな神経をもち,軽快なフットワークで,女子大生の恋人との明るく幸せなひとときを過ごします。こういった人物造形は,チャンドラーハメットロス・マクドナルドらが描いた探偵たちとはもちろん,がちがちのハードボイルド・ファンから「ハードボイルドではない」といわれるプロンジーニパーカーらの「ネオ・ハードボイルド」に出てくる探偵たちとさえも,明らかに異質です。
 だからわたしのような,ハードボイルドというと,がちがちのハードボイルドファンではないけれど,せいぜい「ネオ・ハードボイルド」までをイメージする人間にとっては,少々戸惑いを感じてしまいます。もちろん「これはハードボイルドではない」ということは,「これはつまらない小説である」ということと同義ではありません。むしろハードボイルド小説のにおいを持つ,まったく異なるタイプの小説(たとえば一種の青春小説)なのだ,と思った方が,いいのかもしれません。そうであれば,若き探偵が,もっと若い少年少女たちの失踪と,その背景を追いつつ,心情を比較的ストレートに表す姿も,それなりにおもしろく読めます。

 もしかするとわたしのハードボイルドのイメージが,単に偏狭なだけなのかもしれませんが。

 それと読んでいて,ポール・ニザンの小説の一節を元ネタにした言葉を思い出しました(ニザンの正確な元ネタは,あやふやにしかおぼえていませんので書きません)。
 「青春が美しいなんて,誰にも言わせはしない」

97/03/27読了

go back to "Novel's Room"