貫井徳郎『誘拐症候群』双葉文庫 2001年

 この感想文は,後半,ネタばれになっています。ネタばれ直前に「行あけ」してますが,ご注意ください。

 都内で営利誘拐事件が続発していた。しかし要求額がいずれも少額なことから,被害者は警察に届けることなく,事件が表面化することはなかった。一方,托鉢僧・武藤の知り合いである高梨の生後間もない幼児が誘拐され,武藤はその身代金1億円の運搬係に指名される。ふたつの誘拐事件が照射する現代社会の「病理」とは・・・

 名目上は警視庁警務部人事二課所属の窓際族環敬吾,じつは法では裁けない悪党を天に代わって裁く「現代版必殺仕事人」という設定の「症候群シリーズ」第2作です。もうずいぶん前になりますが,いまやすっかり「toto予想ページ」と化してしまった(笑)Ayinfoomarさんからお薦めいただいた作品です。ようやく文庫化されたので,さっそく読みました。

 物語は,ふたつの誘拐事件をめぐって進行していきます。ひとつは<ジーニアス>を名乗る謎の人物による「小口誘拐」です。身代金は1件500万〜700万円,子どもの命の代金としては低額な要求のため,被害者は子どもが戻ると警察に届けないという「闇に埋もれた犯罪」です。さらにインターネット上で知り合った磯村咲子を,新玩具のモニタと偽って誘拐してきた子どもの世話をさせます。主犯である<ジーニアス>は徹底した匿名性の中で犯行を重ねていきます。その匿名性に対して,咲子が小さな手がかりをひとつずつたぐり寄せながら追いかけるところはサスペンスフルです。とくに彼女が,インターネット上の「ある共通性」を見いだして探りのメールをいれるあたりは面白いですね。
 一方,「仕事人グループ」のひとりである托鉢僧武藤は,偶然知り合った高梨の幼児誘拐事件に巻き込まれます。高梨は大企業の跡取りながら,韓国人女性との結婚を反対され,貧しい生活を送っています。彼の「立場」を知る犯人は,子どもの身代金として1億円を要求,さらに武藤をその運搬係に指名します。犯人側による用意周到な準備に翻弄される警察や武藤,そして身代金の強奪と,息つく暇のないスピード感と緊張感あふれる展開はじつに見事です。とくにさりげない伏線の引かれた「罠」は巧いですね。
 ふたつの事件とも謎が謎を呼ぶミステリアスな展開で,緊張感を持続させるストーリィ・テリングは,この作者ならではのものと言えましょう。

 以下はネタばれになりますので,行をあけます。未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本編ではふたつの誘拐事件が描かれますが,両者はリンクするものではありません(警察ミステリですので,それはそれでいいのですが,やはり『慟哭』の作家というイメージが強いせいか,期待しちゃうところがあるんですよね^^;;)。しかし,このふたつの誘拐事件を対照的に描くことで,まさにタイトルにあるような現代の「症候群」を描き出しているように思います。
 つまり「小口誘拐」の方は,主犯そのものが<ジーニアス>というハンドル・ネームのみで登場し,また「共犯」である磯村咲子もインターネット上で知り合った相手,さらに誘拐する相手もまたネット上で「日記」を公開しているホームページを手がかりに選んでいます。つまりインターネットという「匿名空間」と結びついて実行される,人間関係の希薄な犯罪として描かれています(そこには,HP上に詳しい日常生活を公開するという匿名性と実名性との奇妙なねじれた関係も含まれています)。
 一方の「幼児誘拐事件」では,逆にさまざまな人間関係が絡んできます。誘拐された高梨と彼の父親との確執や対立,外国人に対する偏見と差別,その結果生じる悲惨な末路などなど,誘拐事件を契機として,どろどろとした人間関係が二重三重にミステリアスに重なっていきます。<ジーニアス>が最後の最後まで「本名」を出さずに匿名で語られるのに対して,こちらは「親子」という,もっとも近い,それゆえに逃れられない人間関係同士の憎しみを基軸として展開していきます。
 いわば同じ「誘拐事件」を扱いながらも,片方は人間関係の希薄さが強調され,もう片方は濃いがゆえに起こった悲劇を描いているといえましょう。もしかすると,犯罪というのは,人間関係の「空白」あるいは「濃密さ」から生まれるのかもしれません。

01/07/01読了

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