モーリス・ルヴェル『夜鳥(よどり)』創元推理文庫 2003年

 各編,文庫にして10ページ前後かそれ以下,今風に言えばショート・ショート的な分量の短編31編を収録しています。また末尾に,訳者の田中早苗をはじめとして,小酒井不木・甲賀三郎・江戸川乱歩・夢野久作といったそうそうたるメンバーの「ルヴェル評」が加えられています。
 気に入った作品についてコメントします。

「麻酔剤」
 手術のときは恋人に麻酔をかけてほしいという女性に,老医師は反論し…
 医師は肉親縁者を手術しない,という話を聞いたことがあります。本当かどうかはわかりかねますが,手術に際しては,やはり冷静な判断が求められるからなのでしょう。そんな「冷静さの欠如」に,もうひとひねり加えることで,皮肉な物語を紡ぎだしています。
「幻想」
 寒空の下,瞑想にふける乞食は,もうひとりの盲目の乞食と出会い…
 高度成長期に,「隣の車が小さく見えまぁす」というCMが流行しました。結局,「満足」とか「幸せ」というものが,他者との比較の中でしか得られないのだとしたら,わたしたちは,この乞食を嗤うことはできません。
「犬舎」
 夜,妻の寝室で,ひとりの男が死んでいた…
 いったい物語はどこへ向かっているのか? そのへんが曖昧なままに展開していきながらの,ショッキングなラスト。じつにショート・ミステリらしい佳品です。
「誰?」
 医師の“私”が街で出会った青年の顔立ちは…
 オーソドクスな怪談になるところを,作者は,そうなる「一歩手前」で読者を立ち止まらせることで,怪談とはちょっと違う「奇妙な味」を上手に醸し出しています。
「生さぬ児」
 妻の不貞を確信した夫は,子どもの出生にも疑問を持ち…
 主人公の妻や息子に対する疑惑,懊悩,激情を,緊迫感たっぷりに描き出しています。彼の最後の絶望的な祈りは,息子の父親が誰であろうと,彼が息子を愛していることの証左なのでしょう。
「碧眼」
 碧眼の娼婦は,1年前に死刑にされた情人の墓を詣でるが…
 この作品集では「貧しさ」が,しばしば取り上げられていますが,この作品もそのひとつ。皮肉と言ってしまうには,あまりに哀切きわまりないエンディングです。
「ふみたば」
 別れた愛人から手紙を返せと言われた作家は…
 情けない男が一矢報いるお話(笑) 冒頭の愛人の酷薄さ,上滑りな「愛の言葉」,そしてラストでの現金な言動。それらに対する,最後の強烈な皮肉は,同じ男性として,けっこうすっきりします^^;;
「暗中の接吻」
 自分の顔に硫酸をかけた女を,法廷でかばった男は…
 硫酸によって醜くなった顔という道具立てとともに,男の,一見「美談」に見える言動の裏に隠された真意が,じつにグロテスクな物語です。戦前の横溝正史の短編を連想しました。
「ペルゴレーズ街の殺人事件」
 夜汽車の中で同席した人々は,ひとつの殺人事件を話題にし…
 途中までは気づきませんでしたが,最後にいたって,子どもの頃,ジュヴナイル版で本編を読んだことを思い出しました。それだけ,ショッキングなラストが鮮烈な作品です。
「集金掛」
 まんまと20万フランを横領した銀行員は…
 ネタそのものはなんてことないと言えばなんてことないのですが,逆にそれが,なんてことのない日常性を帯びていることで,思わず苦笑を誘う作品になっています。
「ピストルの蠱惑」
 “おれ”が女を射殺した理由は…
 日本にも「妖刀村正」という伝説があるように,ときとして道具は,人間の意図を越えて(あるいは浸食して)使われることがあるのかもしれません。ローレンス・ブロック「自由への一撃」に通じるものがあり,このモチーフがけっして古びていないことが実感されます。
「二人の母親」
 ジャン少年に二人の母親がいる理由は…
 少年の中に,自分の「面影」を必死になって捜そうとする一方で,奇妙な連帯感に結ばれた「家族」の姿を描いた,一種の「綺譚」といったテイストの作品です。語り手の心の揺れ動きが上手に表現されています。
「誤診」
 健康そのものと診断された男が,医師に語りはじめたこととは…
 19世紀末から20世紀初頭に活躍した作家さんだけに,素材的な古さはいかんともしがたいですが,それでいながら,上の「ピストルの蠱惑」や本編のような,現代でも十分に通じるモチーフが見られるところは興味深いですね。

03/03/09読了

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