吉村昭『夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲』文春文庫 2003年

 「良策などありませぬ。ただ私には傷病者たちと生死を共にする決意あるのみです」(本書より 高松凌雲のセリフ)

 慶応3年(1867),万国博覧会に出席する徳川昭武の随行医として渡仏した医師・高松凌雲は,パリで「神の館」と呼ばれる病院を知る。貧民であろうと厚い医療を施す「神の館」に,医師の理想の姿を見いだした彼は,帰国後,箱館戦争に身を投じるが,そこで敵味方の区別なく負傷兵の治療に専念する。そして戦争の大勢が決し,箱館に進軍する官軍を前に,病院と患者を守るため,その身を犠牲にする覚悟を決め…

 重厚な作品の感想文としては,やや軽々しい始まりではありますが…
 少し前に「反省だけなら猿でもできる」というセリフが流行しました。官僚や政治家の汚職や不祥事が相次ぎ,なにかというと「反省」を口にする彼らに対する揶揄として使われました。本書を読んでいて,その言葉をもじって,こんな言葉を思いつきました(顰蹙を買うかもしれませんが…)。
 「感動だけなら猿でもできる」

 本編の主人公高松凌雲にとって,彼の人生を決定づけたのは,パリにおける「神の館(HOTEL DIUE)」に出会い,そこで医学修行をしたことでしょう。寄付金によって運営され,無料で貧民に手厚い看護を施す病院「神の館」−作者は「あとがき」で,彼がここで医学を修めていなければ,「単なる一医師として終わったことはまちがいない」としています。
 たしかに凌雲は,「神の館」を知り,深い感銘を覚えます。しかしそこで終わってしまえば,あるいは,帰国してからそのすばらしさを喧伝するだけならば,(おそらく)誰にでもできる容易いことでしょう。しかし彼は実践します。それも平時ならばともかく,箱館戦争の,いわば「野戦病院」において実践します。
 たとえば,負傷して病院に運び込まれた官軍の兵士−つまり凌雲が属する榎本軍にとっては敵に当たる負傷兵を,彼は「負傷兵に敵も味方もない」と言い,自軍の兵士と同様に治療します。あるいはまた,戦争の大勢が決し,官軍が箱館に進軍してくるとき,みずからの身体を張って病院の患者たちを守ります。
 作者は,「神の館」での感動を内面化し,自分の生死を賭けて,その「感動」を実践する彼の姿を生き生きと,そしてドラマチックに描き出していきます。いやむしろ,この作者おなじみの抑制の利いた筆致だからこそ,その姿は,より深い感銘を与えているように思えます。上で「感動だけなら…」とおちゃらけたことを書きましたが,まさに「感動だけ」では留まらなかった凌雲だからこそ,この作者は,箱館戦争という題材−榎本武揚・大鳥圭介・土方歳三など魅力的な「英雄たち」が活躍する題材の中から,あえて素材として選んだのだと思います。

 そしてもうひとつ,凌雲の「顔」として忘れてならないのが,幕臣として,武士としての彼でしょう。彼は一橋慶喜に登用されたのをきっかけとして,医師として出世し,さらにはフランス留学という類い希な経験を得ることができます。それゆえに慶喜に対する彼の敬慕の情は深く,明治以後も彼の元で働こうとします。また,箱館において,榎本軍降伏の契機が,みずから行った和平交渉の仲介に発したのではないかという思いから,明治政府からの招請を拒絶し続け,民間医師としての生涯を全うします。そして在野にありながら,その高い理想と人徳により,「同愛社」という貧民救済のための医師のネットワークを生み出していきます(主旨には共鳴しつつも,明治政府の元で編成された「赤十字」に対する彼のスタンスは,興味深いですね)。
 この,頑固ともいえる潔さ,ある意味「高い倫理性」こそが,上に書いたような医師としての高潔さを支えていたのかもしれません。

 『言海』という日本最初の国語辞典を作り上げた大槻文彦の評伝『言葉の海へ』の感想文でも書きましたが,幕末明治という激動の時代にあって,知識人とは,なによりも行動人であり,また実践人であったのだと,そんな思いをより深くしました。

03/01/19読了

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