桐野夏生『OUT』講談社 1997年

 それぞれにトラブルと鬱屈した思いを抱え込み,夜勤の弁当工場で働く4人の主婦―雅子・ヨシエ・弥生・邦子。女と博打にはまりこんだ夫を,弥生が殺害したことがはじまりだった。死体の処理を引き受けた雅子たちの中でなにかが変わりはじめる。女たちは,日常を,常識を,そして社会を“OUT”していく・・・

 いわずとしれた「日本推理作家協会賞」受賞作品にして,『このミス'98』の国内第1位作品であります。

 本書の冒頭には,フラナリー・オコナーの次のような文章が掲げられています。
 「絶望に至る道とは,いかなる種類の経験を持つことも拒絶することである」
 「絶望」―それは,なんらかの劇的で,ショッキングな出来事に遭遇したときに訪れる場合もありますが,その一方で,日常生活の中での不安や閉塞感が降り積もり,沈殿し,凝り固まって形成される場合もあります。おそらくは,長い年月の中で凝縮されたがゆえに,前者よりも後者の方が,より深く,より溶けにくい性質の「絶望」なのかもしれません。そして,本編の主人公雅子が抱え込んでいる「絶望」とは,そういった類のものなのでしょう。
 雅子の家庭は毀れています。夫の良樹も,息子の信樹も,自分の殻に閉じこもり,コミュニケーションらしいコミュニケーションがありません。「家庭内離婚」ならぬ「家庭内家族崩壊」です。そんな家庭の中で,雅子は,友人の弥生が夫を殺害したという電話を受け,その死体の始末を買ってでます。なぜ雅子は,そんな行為に出たのか? 弥生に自首を勧めることもなく,みずから危険なドアを開けてしまったのか? それは,たとえ「死体損壊・遺棄」という犯罪であってもいい,「ここではないどこか」へ行きたいという,絶望に色濃く染め上げられた「家庭」からの脱出に対する渇望です(「変えられない人間関係もある」という彼女のセリフが,絶望の在処を示しているように思います)。作者は,そんな彼女の渇望を,けして急ぐことなく,またストレートに心の襞を描写することなく,むしろハードボイルド・タッチの乾いた,淡々とした文体で,事実を積み重ねるようにして,丹念に描き出していきます。それゆえ,最初は雅子の唐突な行動に戸惑いながらも,読み進めていくうちに,「そうせざるを得なかった」彼女の心の闇が,しだいにじわじわと伝わってきます。また,このような方法によってしか,「家庭」というくびきから「OUT」できなかった彼女の「絶望」の深さが垣間見えるように思います。

 作者はさらに,雅子とともに,事件に深く関わることになる女性たちの姿をも並行して追っていきます。美人で「良妻賢母」と言われていたにも関わらず,物語の発端となる「夫殺し」を遂げた弥生,自分勝手で浅慮,目の前の欲望のためにローン地獄へと陥ってしまう邦子,寝たきりの姑と中学生の娘を抱え,喉から手が出るほど金のほしいヨシエ。彼女たちの行動は,迷宮入りになりそうな事件を思わぬ方向へと向かわせます。ここらへんのストーリィ・テリングは,キャラクタ設定とじつにうまくマッチしています。
 また十文字明佐竹光義が,「女たちの犯罪」に介入しはじめると,事件は新たな展開を迎え,緊張感がぐうっと高まってきます。とくに(ネタばれになるので詳しく書けませんが)クライマックス―雅子の「脱出」のための「最後の扉」―は,ぎりぎりと締めつけられるような緊迫感に横溢しています。途中,丹念な描写の分,少々スピード感に欠けた感があっただけに,このラストでの緊迫感は,それを補って十分なものがあるように思います。
 それと,雅子が迎えるエンディング以上に,匂わされるだけで描かれることのなかったヨシエの「家庭」の顛末が,なにやら薄ら寒い,それこそ絶望的なまでの「冥さ」を漂わせています(深読みだろうか・・・(^^ゞ)。

 「女性作家が描く女性探偵」というのは,昨今のミステリではひとつのポジションを確立しつつありますが,「女性作家が描く女性犯罪者」,それもこれまでの詐欺系とか毒殺系,「色仕掛け」系とは異なる女性犯罪者を描く作品もまた,これからのミステリでは,ひとつ大きなフィールドになるのかもしれません(しかし,もしかすると,小説の世界よりも,現実の方が「先」を行っているのかもしれませんが・・・)。

99/12/31読了

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