別所真紀子『つらつら椿 浜藻歌仙帖』新人物往来社 2001年

 当代随一の女流の俳諧宗匠・五十嵐浜藻。彼女の人柄に惹かれ,連句の場に集う人々…それぞれに俗世のしらがみを抱えながらも,それらを忘れ「かりそめの乾坤」を打ち立てようとする彼らには,身分性別を超えた強い結びつきがあった…

 ねっからの散文的人間のため,詩や俳句,短歌といった韻文を読むことは,ほとんどありません。にもかかわらず,「俳諧小説」と銘打たれた本編を読むきっかけとなったのは,細谷正充編集のアンソロジィ『大江戸事件帖』に収録された「浜藻歌仙留書」を読み,これまで読んできた時代小説とは一味違う作品世界に興味が引かれたからです。時間の流れ的には,前掲「浜藻歌仙留書」のすぐ直後から始まり,長編と言っていいのか,連作短編集と言っていいのか,少々迷いますが,「隅田川の巻」「菊の華の巻」「年の暮れの巻」「鶯の巻」という4編(章)より成っています。

 本編は,主人公五十嵐浜藻を中心に,その連句の会(「付合(つけあい)」と言うそうです)に集まってくるさまざまな人々……絵草紙屋を営みながら,芝居の台本を書くことを夢見る助亭こと此花屋助吉と女房のお咲,粋でいなせ,美貌の河東節の師匠志鏡こと菊志げ,大店を息子夫婦に譲って悠々自適な老後を送る長翠こと利倉屋長左衛門と妻おたえ,彼らが後見人として保護する姉妹おりえおみき,おりえと恋仲で,長崎留学を目指す,長翠の孫圭一郎,吉原の大店中万字屋の主人節度,さらにとある事件から連句の席に顔を出すことになった冬夢こと定廻り同心の忍坂甚之介などなど,さまざまな身分や役職,老若男女を越えた,じつにヴァラエティに富んだ面々があやなす人間模様が描かれていきます。
 この登場人物の多彩さ,彼らの間のコミュニケーションの濃さ,それこそが本編の眼目である「俳諧」における非世俗性を象徴しています。たとえいかなるしがらみがあろうとも,連句の席において,本名とは異なる「俳号」を名乗る以上,それは世俗とは異なる「かりそめの乾坤」を打ち立てる,いわば「同志」としての人間関係が形作られます。
 そのことがもっともよく表されているのが「年の暮の巻」でしょう。志鏡のかつての恋人,罠にはまって,今は罪人となってしまった正吉が牢を脱走,志鏡との束の間の再会と別れを描いた本エピソードでは,正吉を追って池に飛び込んだため,生死の境をさまよう志鏡への,彼らの暖かく献身的な愛情が描かれています。またおもしろいのは,(フィクションでしょうが)俳諧仲間のネットワークを通じて,著名な蘭方医吉田長淑(かの高野長英のお師匠さんですな)が,志鏡の治療にあたるというところ。
 厳格な身分制度があった江戸時代において,身分を越えた豊かで濃密な人間関係を生みだし,さらに広範なネットワークを形成した「俳諧」…それは,これまで描かれてきたであろう「歴史時代小説の中の江戸時代」(どちらかというと,ある身分−武士や町人など−内部での悲哀や,身分間での対立や確執を主に描く)とはやや趣を異にし,江戸時代の「別の顔」を浮かび上がらせている点で,きわめて新鮮なものとして感じられます。またどこか,現代のインターネットにおけるコミュニケーション(ハンドルネームで,趣味や嗜好において人々が集まる)に通底するものがあるようにも思え,親近感を感じさせます。

05/12/31読了

go back to "Novel's Room"