真保裕一『取引』講談社文庫 1995年

 汚職の嫌疑を受け,公正取引委員会の審査官を辞職した私,伊田和彦は,ある人物の依頼により,フィリピンへ飛ぶ。伊田の新たな仕事はODAに絡む不正取引の調査だった。調査のため,彼は大手商社に勤める高校時代の友人に接近するが,思わぬ事件に巻き込まれ・・・

 「息もつかせぬ展開」とか「手に汗握るストーリー」とかいった惹句は,この手のサスペンス小説の「売り」の常套句で,多少は割り引いてから読んでしまうのはミステリ読みの悪い癖ですが(わたしだけか?),この作品に関しては,そういった言葉を額面通りに受け入れていいではないかと思います。文庫本670ページを一気に読み通しました。読み終わってから,久しぶりに心地よい疲労感を味わいました。世評では『奪取』のほうが上なのかもしれませんが,個人的には,こちらのほうが物語世界にダイブインできました。

 物語は,主人公に突然降りかかる汚職疑惑から始まり,あれよあれよ,という間にメインストーリーへとつながっていきます。このあたり,「つかみはOK」(古い!)という感じで,相変わらずうまいです。で,マニラに舞台を移して,いよいよODA絡みの調査を始めるのですが,謎の尾行者,日本の女性ジャーナリストの来比,と,水面下でジョーズが回遊するかのような不安感が醸し出されます。そして日本人誘拐事件の発生,友人の娘が巻き添えをくって行方不明に・・・,物語は一気に加速,主人公らは,娘を奪還するために,マニラの暗黒街,スールーへと追跡劇を繰り広げます。その過程で,最初は反発しあっていたジャーナリストや軍人らと,しだいにタッグを組んでいくのは,物語の展開を盛り上げています。そしてクライマックスでは,事件の過程で浮かび上がっていたさまざまな謎が,まるでジグソーパズルのように組み合わさっていき,最初に描かれていた「絵」が,くるりと反転,二重三重にツイストしながら,結末へと雪崩れ込んでいきます。このあたりは,一種「騙される快感」のようなものがありました。けっしてハッピーエンドというわけではありませんが,最後の一文が,「未来」への予感を暗示させてくれます。

 真保裕一は,年1作という,日本の作家としてはスローペースなようですが,やはりこういった作品を書くための取材というのも,大変なんでしょうね。しかしその取材したネタを,ひとつの魅力的な物語へと構築するのは,それはそれで別の力でしょうから,そういった意味でも,この作者の筆力というのはすごいものがあるのではないかと思います。

97/04/28読了

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