ダフネ・デュ・モーリア『鳥−デュ・モーリア傑作集』創元推理文庫 2000年

 「人は,みずから被害を受けない限り,何事にも関心を抱かないのだ」(本書「鳥」より)

 サスペンスの古典『レベッカ』(といっても,わたし,ヒッチコックによる映画版しか見ていないのですが^^;;)の作者による,8編を収録した短編集です。ホラー,ミステリ,SFなど,多彩なテイストが楽しめます。
 それと訳文の良さも楽しめたことの理由のひとつでしょう。訳者の務台夏子という方は,オコンネル『クリスマスに少女は還る』の翻訳もされているとのことで,どうやら,わたしと相性がよいようです。

「恋人」
 ある夜,“ぼく”は映画館で働く女に一目惚れし…
 書きようによっては,狂気と,その狂気がもたらす恐怖の物語となるシチュエーションです。しかし作者は,恋をする“ぼく”の視点で描くことで,哀しく無惨な恋物語に仕立て上げています(前半の主人公の心理描写には卓抜した技量が感じられます)。また,なぜ彼女はそんな行動をとったのか? という理由を,わずかに匂わせるだけで,けっして明示しないことによって,彼女が抱え込んだ狂気の奥底にある絶望と哀しみが,じわりじわりと伝わってくる仕掛けになっていると言えましょう。
「鳥」
 12月3日,鳥たちは人類を襲いはじめた…
 お恥ずかしながら,この作品が,ヒッチコックの名作『鳥』の原作であることを,読むまで知りませんでした。『レベッカ』といい,ヒッチコックは,この作家さんの作品が好きだったんですね。
 それはともかく,ヒッチコック版とはまた違った意味で,すごい作品です。どこか「侵略テーマSF」あるいは「人類滅亡テーマSF」とも言えるようなテイストを持った作品です。全国(全世界?)に襲いかかる災厄という設定ながら,場面をイギリス田舎町の一家族に絞り込むことで,そして彼らが経験する恐怖を克明に描き出すことで,全編,締めつけるような緊張感を生み出しています。本作品集で一番楽しめました。
「写真家」
 リゾートで退屈を持て余す公爵夫人は,彼女を崇拝する街の写真家と出会い…
 「満足」と「歓び」は違うというお話,あるいは,「歓び」はときに,「満足」とセットをなす「安全」をも脅かす危険を秘めているというお話です。筋立ては,今の目からすると平凡ではありますが,一夏のアヴァンチュールを楽しもうとする主人公の心の動きや,写真家との「恋の駆け引き」(多分に貴族的な傲慢さをともなった)の描写は,即物的な情事描写が当たり前となった現在からすると,かえって新鮮に思えます。
「モンテ・ヴェリテ」
 友人の妻が山中に消えた。その山“モンテ・ヴェリテ”には,不可思議な噂がつきまとい…
 山奥に,俗世から離れた「異界」があり,里の人間とは異なる人々が隠れ住んでいるというお話は,中国の「桃源郷」説話や,日本の民話などにも見られますが,ヨーロッパでもあるのかもしれませんね。そんなヨーロッパ版「山中綺譚」とも言える作品です。「異界」の由来をキリスト教以前の信仰に求めるあたりも,ヨーロッパ的と言えましょう。しかし,その「異界」をユートピアとせず,また里の人々の怨嗟の的となり襲撃されるという展開は,そういった理解不能な「異界」を排除しようとする「近代」の臭いがします。物語が,ふたつの世界大戦をまたがって展開するところも,なにやら意味深です。
「林檎の木」
 彼が,その林檎の木に気づいたのは,妻が死んでから3ヶ月目のことだった。木の姿は,妻そのものだった…
 人は,さまざまな自然現象や,自然の造形の中に,なんらかの「意味」を見出そうとする心性を持っているようです。その心性が,信仰を,そして宗教を生み出したとも言えるかもしれません。本編の主人公は,林檎の老木の「形」に,死んだ妻−彼が忌み嫌った妻の姿を見出します。以来,彼の周囲には,その林檎にまつわる不快な出来事が続発するようになります。それらの出来事が,彼の単なる思いこみ−亡妻に対する嫌悪といくばくかの罪悪感がもたらした妄想なのか,あるいはスーパーナチュラルな怪異なのか,物語は,どちらともつかぬまま,そのあわいを辿っていきます。その曖昧さが,本編の,ミステリとも,怪談とも呼べない,まさに「綺譚」として名付けようがない不可思議な雰囲気を生み出しているといえましょう。
「番(つがい)」
 ああ,あの爺さんのことだろ? あたしが一番詳しいのさ。なんてったって,ずぅっと見てきたんだから,あの夫婦を…
 エンディングになって,「え? どういうこと?」と戸惑いますが,改めて読み直すと「なるほど」と得心。「だったら,この爺さんもけっしておかしくなんかないよな」ということになります。描写の勝利ですね。
「裂けた時間」
 未亡人のミセス・エリスは,いつもの散歩から戻ると,自宅には見も知らぬ男女が住んでいて…
 主人公は几帳面−少々病的な感じのする−で,9歳の娘を溺愛する中年女性という設定で,なおかつ散歩から戻った彼女が直面する不条理から,サイコ・サスペンスへと展開するのかな,と思いきや,意外な展開に驚いてしまいました。この作品のおもしろいところは,読者には主人公が投げ込まれた異常な状況の「真相」を次第次第に理解させながらも,主人公の視点をしっかりと,むしろ融通のきかないほど頑固なものに設定することで,両者の「ずれ」の持つ不気味さをじわりじわりと醸し出しているところにあるのでしょう。また「時間」がもたらすアイロニィも卓抜であり(前半でのやや冗長とも思える長めの描写も,後半とのコントラストを鮮やかにしています),ラストの処理が,作品の雰囲気にじつにマッチした余韻あふれる点も楽しめました。
「動機」
 出産を控え,幸せ一杯だったはずの妻が自殺した。夫は自殺の動機を探すべく,探偵を雇う…
 ハードボイルド・ミステリを彷彿させる作品です。自殺した女性の過去を追ううちに,主人公の私立探偵ブラックは,彼女の平凡と思われた人生の裏側に隠された悪意や欲望,そしてそれらに翻弄される少女の姿を発見していきます。探偵の探索行で,少しずつ“真相”が明らかになっていくプロセスは,文体とあいまってリズム感があり,サクサクと読んでいけます。また最後の,ブラックによる事件の幕の引き方は,「少女」の哀しい魂を昇天させるような優しさに満ちています。

00/12/01読了

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