藤沢周平『たそがれ清兵衛』新潮文庫 1991年

 8編を収録した連作短編集。表題作は2002年に山田洋次監督,真田広之主演で映画化され,好評を博しました。

 「必殺シリーズ」には,さまざまな魅力的な「殺し屋」が登場しますが,その中でももっともコンスタントに安定した人気を得ていたのが,藤田まこと演ずる中村主水ではないかと思います。職場では上司から「無能」「昼行灯」と罵られ,家に帰れば帰ったで,気の強い嫁と姑から蔑ろにされる,ところが「裏の仕事」になると,眼光鋭く,鮮やかな剣技で悪党どもをばっさばっさと切り捨てる…「表」の顔と「裏」の顔のギャップのおもしろさ,普段はぼんくらでも「いざ」となれば隠れた実力を発揮する…そういった設定が,世の「お父さん」たちの心の琴線に触れたのではないかと思います。昔からいうところの「能ある鷹は爪を隠す」というのは,憧れの対象となるようなスタイル,生き様なのかもしれません。

 本集に収録された各編は,いずれも主人公たちの名前がタイトルになっていますが,それぞれに主人公を形容する言葉が冠されています。しかしそれらはどれもマイナス・イメージの強い言葉,つまり「たそがれ清兵衛」「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人(ほいと)助八」です(「かが泣き」というのは「愚痴が多い」という意味の方言,「祝い人」とは,言うなれば物乞いのことです)。
 彼らは,江戸時代のサラリーマン化,官僚化した武家社会において,けっして「第一線で働くバリバリのエリート」ではありません。「無能」とは言われないまでも,その風体・性格ゆえに,周囲の上司・同僚からは,ときに侮られ,ときに憐れまれ,ときに嘲笑われるキャラクタです。彼らの姿は,やや極端なところがあるとはいえ,どこか普通の「おじさん」に通じるものがあり,彼らが身にまとう哀愁は共感を呼ぶのでしょう。

 しかしそんな彼らではありますが,「いざ」「ここぞ」という場面では,外見からは想像できないような剣技でもって,大立ち回りを演じます。たとえば大商人と癒着して私腹を肥やす重職を成敗する場合であったり,息子の妻を辱めた男に対する懲らしめであったり,派閥抗争に巻き込まれ殺された友人の復讐であったり,と,各編それぞれに目的は異なりますが,普段,軽く扱われていた男たちが「隠していた爪」を見せる場面こそが,本シリーズの最大の魅力となっています。それとともに,主人公たちがその剣技を使うことになるまでの展開も,この作者ならではのストーリィ・テリングが冴えるところであります。
 そういった点で,「隠し剣シリーズ」とよく似た構成になっていますが,「隠し剣」が「剣技」そのものにウェイトを置かれていたのに対し,こちらはその「使い手」を重視し,上に書いたような中村主水と同様,普段の姿とのギャップが魅力となっていると言えましょう。

 わたしとしては,自分に対する蔑称を逆手に取って,鮮やかに汚名をすすぐ「うらなり与右衛門」,他人から疎まれるほどの寡黙さを保ち続ける男の悲しい過去を描いた「だんまり弥助」がよかったですね。

02/12/23読了

go back to "Novel's Room"