飯嶋和一『始祖鳥記』小学館文庫 2002年

 「その方の身の内にも,……風羅坊が住むか」(本書より)

 岡山城下に住む紙屋の幸吉。“銀払い”の表具師として,一目置かれる彼は,その心のうちに,単純な,しかし熱い想いを隠し持っていた。それは「鳥のように空を飛びたい」。ところが,並々ならぬ表具師としての才覚と技量を活かして,夜な夜な,飛行実験を繰り返す彼は,城下に思わぬ「鵺騒動」を巻き起こし,藩政批判の首謀者として捕縛されてしまう…

 「鳥人幸吉」の名は,以前どこかで目にしたことがあったので,本編は,そんな「早すぎた天才」の一生を描いた作品と思いこんでいました。ところが,もちろん幸吉の一生を追いかけてはいるのですが,これほどの奥行きと広がりを持った作品とは,正直,うれしい誤算でした。

 わたしは,この作家さんの作品は『神無き月十番目の夜』しか読んだことがないので,他の作品との関係はわかりませんが,本編は『神無き月』と「対」を成すような印象を持ちました。つまり『神無き月』では,徳川幕府という巨大権力によって,「土地」の持つ聖性が剥奪され,均質な「租税のための土地」へと転換させられていく過程で起きた悲劇を描いていますが(本編でも「第三部」において,金鉱地が,強引に「石高制」に取り込まれた悲劇が触れられています),本編では,そんな「土地」の支配に対する,いわば「空と海からの叛乱」を描いてるのではないでしょうか。
 もちろんこの時代ですから「空からの叛乱」は,多分にシンボリックなものです。しかし幸吉の飛行実験に対して,それを「鵺」と呼び,藩の悪政に対する批判として見た庶民にとっては,それは立派な「空からの叛乱」ですし,さらにその噂は,幸吉の旧友福部屋源太郎や,遠く離れた房総の巴屋伊兵衛らを勇気づけ,幕府と特権商人によって牛耳られた海運業を変革させていくという「海の叛乱」へと繋がっていきます。また源太郎の船の舵取杢平が,それまで沿海の地形のみに頼ってきた航海から,太陽や星の位置から自船の位置を割り出す方法を導入するところは,まさに「海と空との協同」を象徴しているようにさえ思えます。
 それと関連して,作者は,「土地を越えた人の繋がり」を強調しているように思います。備前と房総,さらに駿府。主人公の幸吉だけでなく,源太郎や伊兵衛,杢平,さらに駿府の町頭三階屋仁兵衛などなど,物語は,多様な人間関係を,さながら「導きの糸」のようにして展開していきます。またそこには,当時の身分を超えた共感(たとえば町奉行富田清兵衛の幸吉に対する)さえも織り込まれていきます。そういった「土地の桎梏」を超えた人や物,情報の流れが,ストーリィの中で重要な役割を果たしている点も,『神無き月』で描かれた「土地の支配」に対するアンチの意味を持っているのではないでしょうか。

 そして作者は,幸吉の「飛翔」を,さらに昇華させます。終盤,50歳に手が届きそうになった幸吉は,ふたたび「飛翔」の夢に取り憑かれます。そんな彼はこう確信します。
「飛ぶことは,すべてを支配する永遠の沈黙に抗う,唯一の形にほかならなかった」
 現代のように,ちょっとした旅行や出張で飛行機を使う時代ではなく,人が空を飛ぶことなぞ夢のまた夢の時代において,「飛翔」とは,「土地の桎梏」どころか,「この世の桎梏(=死すべき運命としての人間)」からさえも離脱できる方途だったのでしょう。
 はからずも「空からの叛乱者」となり,さらにそれをきっかけに「海からの叛乱」に身を置いた幸吉が,最終的にたどり着いた地点。それは,たしかに若いころの夢との再会ではあっても,より高みを目指した運命そのものへの挑戦だと言えるのかも知れません。

03/04/27読了

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