飯嶋和一『神無き月十番目の夜』河出文庫 1999年

 「「山林」は既に太古の聖なる力を失い,ただどこにでもある,単なる谷間の一つにすぎないものになり果てていた」(本書より)

 慶長7年(1602)陰暦10月13日,常陸国・依神保小生瀬(よりがみほこなませ)の地を訪れた大藤嘉右衛門 が目にしたものは,聖地「サンリン」を埋めた累々たる屍の山だった。老若男女を問 わず,その数300以上。山間の小さな村でいったいなにが起こったのか? 非情な時 代の転換の中で,誇り高き小生瀬の人々を待ち受けていた運 命とは・・・

 掲示板にてさかえたかしさん@発言者より一言からのご紹介作品です。ありがとうございました(_○_)

 江戸時代,つまり「近世」を英訳すると「Early Modern」となります。これを逆に和訳すると「初期近代」となります。「近代とは何か」という大きな問いに答えられるほどの知識はありませんが,「近代」のひとつの側面として,あらゆる場面における「権力による均質化」を挙げることができるかもしれません。たとえば「標準語」なるものが設定され,それ以外の言葉は「方言」というひとくくりの中に回収され,ときに「恥ずべきもの」として,撲滅の対象にさえされます。同様な均質化は,時間や空間においても同様です。たとえ東京と鹿児島で日の入り・日の出の時間に違いがあっても,東京の午後6時は,鹿児島の午後6時と「同じ時間」になります。また山であろうと平野であろうと,すべて「面積」という数字に還元され,数字によって表現されます。人間もまた「人口」という数値によって把握されます。このあらゆるものの「均質化」は,同時に「聖性」の剥奪でもあります。「聖なる時間」「聖なる空間」「聖なる人物」など,近代の「均質化」の前において不要であり,むしろ有害なものとして排除されます。

 さて「初期近代」のはじまりの頃を舞台にした本作品では,徳川幕府による「検地」を契機として滅ぼされていくひとつの村を描いています。それは上に書いたような,「近代」特有の空間・時間の「均質化」による「聖性」の蹂躙とも言えましょう。
 検地は,小生瀬村の「盆」のときに実施されます。先祖の霊たちが村に帰ってくる「聖なる時間」は,検地をする側にとって,まったく意味を持ちません。さらに「御田」という,他の田畑とはまったく意味の違う,小生瀬の人々にとって「聖なる空間」は,役人の目からすれば1枚の「円形の田」でしかなく,むしろ「隠田」として処罰の対象にさえなるものです。小生瀬の「聖」は彼らによって否定されていきます。主人公石橋藤九郎は,検地の役人をこう評します。
「祖先の御霊より,公儀の役目を先んじて,何のためらいもない。やはりその若侍も見たことのない異種の者に外ならないようだった」
 この物語で描かれる抗争−それはふたつの異なるシステム−「聖」を守ろうとするシステムと,すべてを「均質化」させようとするシステム−との相克でもあると言えます。そして後者の勝利に終わることがオープニングにおいて示されたこの物語を象徴しているのが,上に掲げた「聖地における虐殺」であり,なによりもタイトルに含まれた「神無き月」なのでしょう。

 しかし言うまでもなく,システムを動かすのは人間です。システムを円滑に動かすのも,逆に硬直化させるのも人間です。システムの命運を握っているのは人間と言えましょう。作者はそのことを熟知しているのでしょう,システム間の抗争を描きながらも,その中にいる人間たちを,丹念に,ときに冷徹な視点でもって描き出していきます。
 強大な幕府の「力」を目の当たりにして,村が生き延びるために苦悩する藤九郎,戦を知らぬがゆえに幕府に対して蜂起を目論む辰蔵,辰蔵に嫉妬し,「御田」の場所を役人に密告,破滅へのきっかけを作る吉弥などなど,いずれも人間としての感情,欲望,愚かさ,愛憎,狂気を抱え込む人間として描き出しています。同様の視点は,検地をおこなう役人側にも向けられます。新たな組織の中で自らの地位を確保しようと焦る柳田伊兵衛,エリート意識から伊兵衛を出し抜こうとする馬場兵庫介,藤九郎の有能さを認めたため戦いを回避しようとしながらも,みずから征討の首領となる芦沢信重・・・作者は,彼らの関係に単純な「善悪図式」を持ち込みません。どちらの側の登場人物も,ともに等身大の人間として設定しています。
 さらに作者は,これらの多彩なキャラクタと,彼ら同士の運命の皮肉とも言えるようなすれ違いや行き違いを,けっして急がず,淡々と描いていきます。しかしその淡々とした描写が積み重ねられていくにしたがい,物語は,冒頭に提示された破局へ向けての,避けようのない「流れ」が形作られていきます。いったん,その「流れ」が流れはじめてからのストーリィは圧倒的なまでの力強さを持ち,終局へと突き進んでいきます。そしてその「流れ」の力強さとは,逆に言えば,流れに抗いきれない人間の無力さでもあるのでしょう。

 ひとつのシステムからもうひとつのシステムへの移行を,「小生瀬」という「小宇宙」に凝縮させ,さらにさまざまなキャラクタによって肉付けしつつ,その移行の「流れ」を,人間たちでは押しとどめようもない強大なものとして描く・・・それこそ「歴史」なのかもしれません。

01/07/29読了

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