大沢在昌『炎蛹 新宿鮫V』光文社文庫 2001年

 「警察官が,すべての活動を正義の名のもとにおこない始めれば,暗黒の時代が訪れるだろう」(本書より)

 殺された外国人娼婦は,思わぬものを日本に持ち込んでいた−“フラメウス・プーパ(火の蛹)”。日本の稲を全滅させる可能性を持った危険な害虫だ。だがその卵が付着したワラ細工は,別の娼婦が持ち去っていた。鮫島は,横浜植物防疫所の調査官・甲山とともに,“火の蛹”を追う。一方,新宿のラヴホテルでは,発火装置を用いた放火事件が続発し・・・

 『東京騎士団(ナイト・クラブ)』『雪蛍』といったように,この作者は,駄洒落というか,語呂合わせがお好きなようです。本編のタイトル「炎蛹」にも,ふたつの意味が含まれています。
 ひとつは,冒頭の梗概で書いたような“フラメウス・プーパ”です。その繁殖力の旺盛さと食性により,日本の稲を全滅させるかもしれない危険性を持つ害虫です。鮫島は,甲山の依頼を受けて,その「炎蛹」を追います。ここらへんの目の付けどころは巧いですね。もともと,日本人も外国人も含めて,さまざまな「人種」が流れ込む新宿を舞台にした作品だけに,こういった日本の生態系を狂わせる外国産の昆虫の流入という状況もけっして想像だけで済む話ではないように思います。
 もうひとつの「炎蛹」は,ラヴホテルで続発する,発火装置を用いた連続放火事件の比喩でしょう。つまり炎という毒々しい蛾を生み出す「蛹」としての発火装置です。こちらには東京消防庁の調査課,通称「灰掻き屋」吾妻というキャラクタが出てきます。火災現場から,出火の原因を追及するプロの調査員です。
 そう,本編のおもしろさのひとつは,甲山と吾妻というふたりのプロフェッショナルが,鮫島の捜査に協力する点にあるでしょう。すでに監査医師のという,やはり警察内部のプロが,鮫島の協力者として登場していますが,いわばプロ同士の協力体制というのは,見ていてじつに興味深く,またさわやかなものがあります。それぞれの知識や経験を持ち寄り,あるいはまたまったく異なる視点から,専門家の気づかない盲点を指摘する,そのあたりの遣り取りは,一種の知的興奮を味あわせてくれます。そして彼らが鮫島に協力するのは,彼が「プロの警察官」であるということに対するプロ同士の敬意であるように思います。公安警察の秘密を抱え込んでいるため,まったくの孤立無援という立場からスタートした本シリーズは,少しずつテイストを変えていっているように思います(同僚の警官もけっこう協力的な感じがしますしね)。

 そして本シリーズの最大の魅力である,圧倒的なまでのスピード感は,本作品でも十分に堪能できます。イラン人マフィアとチャイニーズ・マフィアとの抗争,ラヴホテル街での連続放火事件,“フラメウス・プーパ”の探索,外国人娼婦連続殺人事件,と,複数の事件が並行して発生し,さらにそれらの事件は,互いにニアミスを繰り返しながら,鮫島たちを真相へと導きます。そこでは,事件の謎がどうのというより,むしろ個々の事件同士がどのように絡むのか,どのように事件が「転がって」いくのかというサスペンスが前面に押し出され,オープニングからエンディングまで,一気にストーリィを展開させていきます。もはやこのへんの描き方は,この作者の自家薬籠中のものといえましょう。手慣れたものです。

 さて本編では,なにやら事件の背後に潜む「黒幕」的な存在が登場します。鮫島の追求の手を振りきり,彼は他国へと逃亡します。どこか「エリート犯罪者」風の彼は,おそらくふたたび鮫島と相まみえることがあるのでしょう。期待したいところであります。

01/06/24読了

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