吉村昭『島抜け』新潮文庫 2002年

 3編を収録しています。

「島抜け」
 天保15年(1844),幕府批判を口にしたとして,薩摩領・種子島への遠島に処せられた大坂の講釈師・瑞龍。3人の仲間とともに釣りに出た彼は,そのまま島抜けを敢行する。暴風雨に遭い,唐国へと流された彼らは,命からがら帰国するが…
 この作者が深い関心を寄せている江戸時代の「漂流者」を描いた1編ですが,この作品でのユニークさは,主人公が講釈師という点でしょう。徳川側から大坂冬・夏の陣を描いた『難波戦記』を,豊臣側の視点で講釈したため,遠島に処せられたという,一風変わったスタンスのキャラクタです(豊臣に味方しての講釈が,大坂人の熱狂的な支持を受けたという件もおもしろいですね)。
 そして,自殺的行為とも言える無計画な島抜け,行き着いた中国での彷徨,そして帰国と,こんな風に言ってしまっていいものかわかりませんが,たとえば『漂流』に描かれた漂流者などに比べると,比較的恵まれた境遇だったようです。
 しかしおもしろいのは帰国後の展開。無事長崎に着いても,島抜けが露見すれば死罪は免れない,ということで,4人は脱獄,潜行生活へと入ります。この作者には『破獄』という脱獄常習犯を描いた作品もあり,そういった点では「漂流+脱獄」という,まさに作者にとってはうってつけの素材でもあるわけです。その,漂流と脱獄というふたつの「極限状況」が物語に緊迫感を与え,主人公はいったいどうなるのか?という関心が,ぐいぐいとストーリィを引っ張っていきます。
 それとともに主人公の性格を淡泊にすることで,漂流や逃亡の際に顔を出しがちな「卑しさ」や「陰惨さ」がほとんどなく,実話を素にしながらも,一編の「物語」として心地よく楽しめました。

「欠けた椀」
 飢饉に襲われた村から,まだ食糧事情の良い海へと向かう一組の夫婦がいた…
 この作者にはめずらしい時代物のフィクションですが,おそらくこの作家さんのことですから,さまざまな大飢饉をめぐる史実を組み合わせて作り上げられたのではないかと想像します。江戸時代後期に大飢饉が続発したのは,「小氷期」だったためだそうです。つまり「天災」です。しかしその天災に対する人間の対応,たとえば種籾を借り受け,それを翌年から年三割の利息を取って返還を求める藩,残り少ない食料をめぐって荒む人の心(この作品のインスピレーションとなった「物乞い入るを禁ず」の立て札に象徴されています),人々の心に深く染み込んだ「肉食」に対する禁忌などなど…飢饉の悲惨さが,一方で「人災」的な側面も否応なく持っていることを描いているように思えます。

「梅の刺青」
 明治元年,「大病院」に提出された一通の申請書。それは重病に罹ったひとりの人物から,死後,みずからの身体を解剖用に献体する申請だった…
 この作者には,『解体新書』の翻訳という難事業に挑んだ前野良沢を主人公とした『冬の鷹』や,日本初の女医であるイネの生涯を描いた『ふぉん・しいほるとの娘』,わたしはまだ読んでいませんが,明治期の「脚気論争」を扱った『白の航跡』などがあり,江戸・明治期の医学史にも関心を持っておられるようです。本編は,いまだ江戸時代の「解剖」に対する拒絶感が色濃く残る明治初頭の解剖学事情を描いた作品です。
 そのきっかけとなった宇都宮鉱之進の申請書(それが「奇跡」とも言える回復によりキャンセルされ,宇都宮が日本の化学史において重要な足跡を残すことになるというのは,まさに「事実は小説よりも奇なり」と言った観があります),黴毒病院の入院患者が最初の「献体」であったこと(死後の丁重な葬儀を保証されたがゆえに献体を決意するという発想が,時代性を感じさせます),獄死・刑死体の提供により解剖学が飛躍的に進展したこと(雲井龍雄の事件って,かなり大事だったんですね)など,「医学の発展」と呼ばれるものが,当時のさまざまな社会情勢と絡んで進展していく様子が,興味深く読めました。

02/10/13読了

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