アントニー・バークリー『試行錯誤』創元推理文庫 1972年

 医者から余命いくばくもないと宣告されたトッドハンター。彼は残りの人生を有意義に過ごそうと,「利他的な殺人」を決行しようと決意する。そして,周囲から“悪女”と呼ばれる女優を犠牲者に選ぶが,事態は思わぬ展開を見せ・・・

 『トリフィド時代』とともに,「復刊フェア'99」の1冊です。『トライアル&エラー』のタイトルで知っていましたが,これまで読む機会がありませんでしたので,今回の復刊はうれしいですね。

 物語は,動脈瘤のため,数ヶ月のうちに死が迫っているトッドハンターが,「利他的な殺人」を決行しようと決意するところからはじまります。その殺害候補として,ヒトラームッソリーニの名前が出てくるところは,時代的なものが感じられますね(「日本軍閥の指導者」なんてのも出てきますが,そのくせ,主人公に日本に観光旅行に赴かせるというのは,なんか変な感じです^^;;)。もちろん,話はそういった「冒険もの」に展開することなく,男を手玉に取る“悪女”,女優のジーン・ノーウッドが犠牲者に選ばれます。ところが,犯人として別の人物―ビンセント・パーマー―が逮捕されたことを知った彼は,自分の有罪を立証するために,犯罪研究家のアンブローズ・チタウィックに調査を依頼する,という風に展開していきます。
 犯罪者が,濡れ衣をはらすために真犯人を捜すという作品は,ときおり見受けられますが,自分の有罪を立証するために捜査をはじめるというのは,かなりユニークなパターンではないでしょうか。それがなかなか立証できず,悪戦苦闘するというところは,通常のミステリとまったく同じですが,その方向性がまったく逆であるところは,通常のミステリにはないユーモラスな雰囲気を醸し出してます。作者はさらに,死期が迫っているとはいえ,凡庸な人物の心理をねっとりじっとり描き出すことで,アイロニカルな立場に立たされた主人公の悲喜劇を際だたせています。
 ストーリィは,ビンセントの死刑判決を覆すために開かれた異例の裁判シーンでクライマックスを迎えます。とくに,ビンセントを真犯人とした警察側の陳述と,アーネスト・プリティボーイ卿との丁々発止の駆け引き,やり取りは,真犯人はビンセントなのか,トッドハンターなのか,どちらでもおかしくないような,いわば分水嶺をひた走るといった緊張感があります。
 そしてエンディング。「名作」と呼び声の高い作品だけに,主人公が自分の有罪を立証するというユニークさはあるとはいえ,「これだけ済むはずは・・・」とは思っていましたが,案の定,作者はきっちりと「サプライズ・エンディング」を用意しています。終幕直前で主人公が見せた行動は,それまでの彼の心理の軌跡からすると,矛盾する,落ち着きの悪いものだっただけに,「あ,なるほど」と腑に落ちますし,また,少々しつこく冗長と感じられていた,主人公のねちっこい描写が,それ自体ひとつの「仕掛け」となっているのに気づき,これまた膝を打ちました。

 昨今の日本のミステリの潮流に慣れた目には,けして新鮮なものではないのかもしれませんが,むしろ,その潮流の源が,すでに60年以上前に発していることは,目から鱗が落ちるような思いでした。

00/05/03読了

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