篠田節子『聖域』講談社文庫 1997年

 文芸雑誌『山稜』の編集者・実藤(さねとう)は,退職した篠原の荷物の中に,ある原稿を見つける。水名川泉著『聖域』。一読,作品に惹かれた実藤であったが,原稿は未完であった。水名川泉に関わった人々が「忘れろ」「関わるな」と警告する中,彼は,作品を完結,出版させようと,泉を探し出すため,『聖域』の舞台・東北へと旅立つ・・・。

 「あんまり相性が良くないなあ」と思いつつ,新刊(文庫)が出るたびに,つい買って読んでしまう作家さんというのがいます。わたしにとって篠田節子がそんな作家です。
 さて今回の作品ですが,前半2/3くらいまでは,一気に読み進め,「おお,今回は楽しめるかな」と思いました。水名川泉に関わって「壊れていった」作家や編集者,彼らはなにを知っているのか? 『聖域』のエンディングはどのようなものなのか? そして作者の水名川泉とはいったい何者なのか,なにより生きているのか? 実藤の追跡調査で明らかにされる東北地方の虐げられた暗い歴史,泉を教祖とするらしい新興宗教の実態,さまざまなエピソードをはさみつつ,謎の中心である『聖域』と水名川泉へと向かって,ストーリーは,緩急自在とでもいいましょうか,ぐいぐいと進んでいきます。
 また作中作『聖域』も,農耕民vs狩猟民,国家権力をバックにした仏教vs蝦夷在地の狩猟神,といった歴史伝奇もの風で,実藤でなくても,「むむ,結末はどうなるんだ?」と期待してしまいます。
 ところが,実藤がついに水名川泉を探し当てた後が,どうもいまいちノレません。泉に『聖域』の結末を書くように迫る実藤の姿は,はっきりいって,見苦しいです(笑)。まあ,そんな実藤の姿を強調することで,泉との対照性を際だたせようというのが目的なのかもしれませんが,それまでのテンポのよい展開が停滞してしまうような感じで,思わず「いい加減にせんかい!」とつっこみたくなります。そのくせ,ラストで,じつにあっさりと泉の世界観を受け入れてしまいます。「それじゃあ,これまでの能書きはいったいなんじゃい!!」と,さらにつっこみたくなります。
 それと,生者と死者,さらには神という大きな問題に真っ正面から取り組もうとする意欲は感じられるのですが,結局,実藤がたどり着いた世界も,アニミズムとどれくらい違うのか,よくわかりませんでした。当分,この作者に対するアンビヴァレンツな想いは続きそうです。

 ところで,内容とはまったく関係ないのですが,読んでいて,水名川泉と同じ名前をもち,やはり東北地方の閉鎖的で因習的な世界を舞台にしたミステリを書いていた作家藤本泉のことを思い出しました。彼女の作品にたしか『呪いの聖域』というのがありましたね。なにか関係があるんでしょうか? モデル? まさかね(笑)

97/09/17読了

(追記;97/09/19に宮崎さんからいただいたメールによれば,「水名月泉」のモデルは,やはり藤本泉だそうです。宮崎さん,どうもありがとうございました)

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