藤本泉『呪いの聖域』ハヤカワ文庫 1979年

 父親の事故死をきっかけに,自分が養子であることを知った山戸東介は,会社の部下たちとともに,まだ見ぬ故郷・青森県雪花里(つがり)を訪れる。が,部下のひとりが事故死,ふたりが中毒死,東介もまた九死に一生を得る。雪花里にはいったいなにが秘められているのか? みずからの出生の謎を追う東介の前に立ち現れた恐るべき真相とは・・・。

 いわゆる「伝奇ミステリ」の範疇にはいる作品だと思います。しかし,その手の作品にしばしば見られるような「まことしやかな」あるいは「見てきたような」という描き方とは,少々毛色が違います。
 本作品の謎の核心である“雪花里”そのものの由来や性格については,じつのところ,明確には語られてはいません。たとえばそれは,地元の民俗学者や郷土史家が集めた古文書の断片や古老の言い伝えであったり,あるいは恐山のイタコの口から語られる“死者の声”であったり,周囲の街の人々の畏れの入り交じった噂話であったりします。
 読者は,そういった“雪花里”の周りに浮遊する描写から,“雪花里”が抱え込んでいる,奥底知れぬ闇を垣間見るに過ぎません。それはちょうど,井戸の中に小石を投げ込み,かすかに響く水音から,その井戸がきわめて深いものであることを知ることはできても,「井戸がどれくらい深いのか」「井戸の底がどうなっているか」ということを,それだけでは知りえない,ということに似ているかもしれません。
 しかし,見えないからと言って,知りえないからと言って,“底”が,そして“闇”が存在しないということにはなりません。いやむしろ,その人知れぬ“底”(=根本)に手を出そうとするもの,“底”を奪い去ろうとするものに対して,“闇”は情け容赦なく牙をむきます。人は,その牙に触れたとき,はじめて,人知れぬ“底”の存在を知り,その“底”の深遠さを知るのでしょう。その牙に触れたとき,つまり触れた者が死ぬ時になって,はじめて・・・。

 古代,“化外の民”と呼ばれ,“蝦夷”という侮辱的な名前を被せられた人々。中世,平泉に黄金時代を築きながらも,鎌倉政権によって滅ぼされた国。近世,「石高制」のため,本来適さない稲作を行い,再三にわたって飢饉に苛まれた地域。近代戦争において,東北出身の戦死者の数は他地域よりも多かったという話を聞いたこともあります。
 “雪花里”が抱え込んでいる闇は,日本の東北地方そのものが抱え込んでいる歴史の闇なのかもしれません。

 作者の藤本泉は,篠田節子の『聖域』の主人公・水名川泉のモデルだそうです。そして篠田『聖域』に出てくる水名川泉の作品「聖域」は,本書そのものではありませんが,本書が描き出そうとしている「見知らぬ東北」の歴史を描いた作品として想定されているのではないかと思います。

98/03/16読了

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