J・M・スコット『人魚とビスケット』創元推理文庫 2001年

 「人間が高性能爆弾と同様に危険なものになりうることを彼らはもう知ってしまっていた」(本書より)

 「人魚へ。とうとう帰り着いた。連絡を待つ。ビスケットより」−1951年3月7日の新聞に載せられた奇妙な個人広告。その背後には,戦時中にインド洋で撃沈された船から,からくも生き延びた3人の男と1人の女の壮絶な漂流行が隠されていた。そのうち2人−ビスケットとブルドック−から,その経験を本にするよう依頼された作家“わたし”は・・・

 別に意図したわけではありませんが,『海賊モア船長の遍歴』(多島斗志之)『漂流』(吉村昭)と,なぜか「海洋もの」づいてます(笑)

 物語は,ロンドンの『デイリー・テレグラフ』に掲載された,一連の不可思議な個人広告からはじまります。森英俊「解説」によれば,この個人広告は実際にあったことだそうで,作者はその事実をもとに本フィクションを作り上げたのだそうです。ところで,奇妙な新聞広告がミステリの小道具として使われることは,スパイ小説などでしばしばありますが,今だとやはり,こういったニックネーム同士で呼び合う奇妙な文章というと,インターネット上の「掲示板」を思い出してしまいますね。実際にそんなネット上の「匿名性」を利用したミステリは,昨今ずいぶん増えていますが,すでに半世紀前に,新聞の個人広告を用いた同じような事件(?)と作品があったというのはおもしろいですね。

 さてストーリィは,個人広告に出てきた4人の名前−「人魚」「ビスケット」「ブルドック」「ナンバー4」−のうち,「ブルドック」と「ビスケット」から“わたし”が聞いた話をまとめる,という体裁で展開していきます。それは,1942年,インド洋上で14週間に渡った男3人,女1人の漂流の記録です。ゴムのラフト(救命艇)上での容赦のない餓えと渇き,暴風雨に翻弄されるラフト,鮫の群の襲来,そしてなによりも4人の間でわだかまる反目と確執,さらに忍び寄る絶望と狂気・・・1956年という初出年代のせいでしょうか,今の目からすると表現的にかなり抑制が効いているように思いますが,それでも矢継ぎ早に降りかかる災難の描写は,ストーリィ全編の緊迫感を持続させています。とくに「人魚」がいるおかげでかろうじている人的バランスが,さながら天秤のように右に揺れ,左に揺れるといった危うさは,迫力があります。
 またそういった「海洋サスペンス」としての面白さとともに,冒頭で示される奇妙な個人広告とあわせて,“わたし”が筆記する場所に,「人魚」と「ナンバー4」がいないことがいったい何を意味するのか? という謎が加味されます。つまり,「「ブルドック」と「ビスケット」は,本当に「真実」を語っているのか?」「これは一種の欠席裁判ではないか?」という疑念が,漂流している4人の運命の行く末とともに,ストーリィを引っぱる強力な牽引力になっていると言えましょう。だからこそ,見事なまでに緊張感が高まるラストが活きてくるのでしょう。
 「幻の傑作」という惹句は,あながち誇大広告というわけではないようです。

 それにしても実際に新聞に載ったというこの個人広告,本当の真相はいったいなんだったんでしょう? そちらも気になるところです。

01/04/22読了

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