太田忠司『さよならの殺人 1980』ノン・ノベル 1998年

 1980年12月9日,ジョン・レノンはひとりの熱狂的なファンにより射殺された。「ジョンが死んだニュースを聴いたあの日,私は,人を殺したんです」そんなセリフとともに“僕”に渡された原稿「さよならの殺人 1980」。それには“あの日”大学で起きた殺人事件が記録されていた・・・

 森博嗣の『夏のレプリカ』に続いて西澤保彦『幻惑密室』を読むのは,なんだか講談社に踊らされているようで,ちょっとしゃくだったので,こちらを先に読みました(<へそ曲がり!)。

 まずは作者からのアンケートに答えて・・・・。
 “あの日”わたしはホテルの中にある喫茶店の厨房で,皿洗いをしていました。何歳か年上のアルバイトの同僚が,夕刊を持って厨房に入ってきて(彼はウェイタでした),社会面の小さな記事を指さし,「ジョン・レノンが死んだ」とぼそりと囁きました。新聞はもちろんテレビもなく,ラジオもほとんど聴いていなかったあの頃,そのようにしてわたしは彼の死を知りました。その夜,雪が降っていたと思っているのは,きっと記憶の改変でしょう・・・・。

 さて本作の大部分は,作中作「さよならの殺人 1980」として進行していきます。
 卒論作成のために忙しいN大工学部の3人組,島本優美,浅上淳司,矢部達郎は,大学自治会議長・森山晋の死体を発見,彼らは殺人事件に巻き込まれます,というか積極的に首を突っ込んでいきます。冒頭の事件では,「森山はなぜ顔を殴られていたのか?」「優美が目撃した森山晋の“幽霊”の正体は?」といった謎が示され,また続いて起こる限りなく密室に近い状況での殺人事件,と“いかにも”といった雰囲気ですが,謎はいずれも小粒ですね。
 で,それらの謎を,矢部が探偵役となって解いていくのですが,彼の行動パターンはちょっと鼻についてしまいます。とくに後半に出てくる密室殺人をめぐる彼の行動は,強引というか,「結果オーライ」というか・・・。
 さらにこれらの“事件”は,作中作でいったん解決を見るわけですが,最終章でもうひとひねり。その着地はたしかにきれいですが,作品全体の“ジャンプ力”があまり大きくない分だけ,まあ“無難な演技”といった感が免れません。

 ミステリとして見れば,そんな感想なのですが,作品のあちこちに散りばめられた“1980年”的な小道具は,同じ頃,学生生活を送っていたわたしとしては,個人的に楽しめました(わたしも『ダブル・ファンタジィ』を友人にダビングしてもらって,聴いていたくちです)。また,ちょうど島本優美のように,工学部に籍を置く女性の友人から,優美と同じような悩みとも愚痴ともつかぬ話を聴いたことがあります。
 殺人事件が時効になるくらい昔だったんだ,とちとしみじみしてしまいました。

 ところで,登場人物のミステリ作家の次のようなセリフがあります。
「ほんとに多くの人が,あなたと同じような誤解をしている。ミステリ作家というのはね,事件と犯人を想像する仕事をしているだけです。自分の都合のいいように事件をこしらえ,その事件に都合のいい犯人をでっちあげるだけなんですよ。それは推理能力とは全然違うものです。」
 ときおりマスコミで現実に起こった事件にコメントするミステリ作家を見かけますが,前々からわたしが感じていた違和感を,非常に明快に説明してくれているセリフですね。

98/01/24読了

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