スタンリイ・エリン『最後の一壜』ハヤカワ・ポケット・ミステリ 2005年

 「時代は変わってゆく。それなのに時代が不変であるかのように自分の役を演じつづけるのは危険なことなのかもしれない」(本書「古風な女の死」より)

 計15編を収録。仁賀克雄の解説によれば,『特別料理』『九時から五時までの男』,そして本書で,この作者の短編はすべて邦訳されたことになるそうです。いわば最後の短編集。表題に選ばれた「最後の一壜」とは,そのことをも意味しているのかもしれません。

「エゼキエレ・コーエンの犯罪」
 20年前,ナチスに仲間を売った男は,本当に“裏切り者”だったのか…
 本編の持ち味は,「ローマ」を舞台にしていることにこそあるのでしょう。古くは古代ローマ,新しくはファシズム政権下での血塗られた歴史を持ち,「過去」と「現在」とが混在する町(とくに「マルチェロ劇場」に象徴される)を丁寧に描き込むことで,「20年前の事件」という素材の持つ雰囲気を巧みに醸し出しています。
「拳銃より強い武器」
 落魄した夫人の最後の“砦”である屋敷を買いたいと申し出た人間が現れ…
 屋敷を賭けたクライマクス・シーンで,夫人の「相手方」の酷薄さ,いやらしさが徐々に浮き彫りにされていくさまは秀逸です。また足払いをかけられたような着地もいいですね。ところで,ギャンブルで破滅したという息子,この母親の「血」を引いているのでは?
「127番地の雪解け」
 真冬,127番地のボロアパートに住む人々の唯一の願い…それは“暖房”だった…
 登場人物たちの気弱さ,穏やかさと,描かれてはいませんが,かなりグロテスクであろう犯罪の場面とのギャップが,かえって不気味さを強調しているように思います。
「古風な女の死」
 前妻を描いた絵の元で女は死んでいた…容疑者は5人…
 成功と嫉妬,愛情と裏切り,三角関係の修羅場…タイトルどおり「古風な」シチュエーションを意図的に(しかしこの作者の筆力ならではの迫力をもって)描き出しています。もしかするとそんな「ロマンティック・サスペンス」(日本ならば「2時間サスペンスドラマ」)への強烈な皮肉なのかもしれません。
「12番目の彫像」
 吝嗇で横暴な映画プロデューサが,撮影所から忽然と姿を消した…
 冒頭における謎の提示,そこに至までの「危機的状況」の醸成,クライマクスなどなど,ストーリィ・テリングの絶妙さが味わえる作品です。グロテスクとはいえ,「犯人」の巧妙さとともに,決意の固さを示すエンディングもいいですね。
「最後の一壜」
 “幻のワイン”の最後の一壜が,大富豪の手によって封を切られることに…
 読者を引きつける魅力的なイントロダクション(「なにか」が起きたが,「なに」が起きたかわからない),入念に配された布石(「10万ドルのワイン」「妻の浮気」「忠実な執事」…),高まる不穏な空気,そしてクライマクスでの緊張感とサプライズ…これだけも十分なのに,皮肉な上に,どこか「怖さ」が感じられるラストが加わって,表題作にふさわしい佳品となっています。本集中,一番楽しめました。
「贋金づくり」
 パリの蚤の市を訪れた夫婦。夫の目的は古いコインだったが…
 キャラクタにおける「表」の顔と「裏」の顔。ミステリでは定番ともいえるモチーフですが,要はその描き方。前半の,共同経営者への恩義を忘れず,人がよく,妻への愛情に満ちた主人公の描写が,本編の「ギャップ」を効果的にしています。
「画商の女」
 貧乏画家を食い物にする画商の女に,画家の恋人は…
 画家の恋人ファティマが,因業な画商と渡り合うために用意した「武器」,画商のやり口を逆手に取った口上,苦笑を誘うオチなどなど,前半に画商の陰険なやり口がたっぷりと描写されているだけに,まさに「痛快」という評言がぴったりの1編です。
「精算」
 ボートで,浜辺からホテルに入り込んだ男は,そこで…
 読み終わってから,発表年を見て,なぜか納得。これもまた「時代の狂気」の一断面を描いた作品なのではないかと思います。
「壁の向こう側」
 50歳を過ぎた男が,夢に出てくる美少女に恋をしてしまい…
 30年以上前の作品ですから,素材的に意外性が乏しい観はまぬがれませんが,やはり,ストーリィ・テリングがいいですね。とくに前半での,患者の医師に対する評価が,ラストで効いています。
「警官アヴァカディアンの不正」
 その医師の妻は,夫が誘拐されたと主張するが…
 おそらく発表当時のアメリカの状況が背景としてあると思われ,そこらへんピンと来ないところもありますが,「真相」に苦笑するとともに,同意も感じてしまいます。
「天国の片隅で」
 隣に新しい人間が越してきたことから,快適な生活環境は一変し…
 じつを言うと,2年前に引っ越した理由のひとつが,住環境(隣接していた某チェーンの居酒屋)が理由のひとつであったわたしとしては,本編の主人公に芽生えた殺意,けっして他人事でなかったりします。いやもちろん「こんなこと」はしてませんが(笑)
「世代の断絶」
 彼女は,マイアミの伯父夫婦の家まで,ヒッチハイクで向かうが…
 本編を読んで,「ね,どうにかなるでしょ」と思うか,「このバカ,いつか殺されるぞ」と思うかの違いは,タイトルにあるとおり,まさに「世代の断絶」なのでしょうね。え? わたしはどっちかって? もちろん……
「内輪」
 父親の死をきっかけに家に戻った彼は,母親の世話に日々を費やし…
 「孤独でいるよりも,悪魔と一緒にいた方が,はるかにまし」あるいは「人は,自分のもっている卑しい考えを,他人誰もが持っていると考えがちである」というお話です(笑) 世に言う「暗黙の了解」の正体というのは,存外,こんなものなのかもしれません。
「不可解な理由」
 彼は,タクシー運転手をしているかつての同僚と偶然であったことから…
 富める者はますます富み,貧しい者はますます貧しくなり,その間にある者は日々を綱渡りの心持ちで過ごしていく…某国首相が「自己責任」という美名の元に作ろうとしているのは,こういう社会なのでしょう。

05/05/15読了

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