スタンリイ・エリン『九時から五時までの男』ハヤカワ文庫 2003年

 「眠っている猛犬を起こしてはいけない。それとおなじように,発してはならないという質問というものもあるのである」(本書「伜の質問」より)

 10編をおさめた短編集です。1967年刊行のポケミス版の文庫化ですので,翻訳の文体がややレトロな感じがします。

「ブレッシントン計画」
 突然,彼を訪れた男は,ある“計画”を持ち込み…
 高齢化社会,すべてが「効率」と「効果」によって評価される社会…現在の日本の状況と重ね合わせるとき,本編は「シャレにならない」怖さを持っています。永井豪の短編「黒いちゃんちゃんこ」藤子・F・不二雄「定年退食」を連想させます。
「神様の思し召し」
 新興宗教の教祖に帰依した“俺”は…
 教祖の胡散臭さとのコントラストを際だたせることで,主人公の狂信とも言える「善意」を浮き彫りにし,さらにその「善意」がもたらす皮肉な結末が,教祖の胡散臭さと相まって,ある種のカタルシスを与えますね。
「いつまでもねんねえじゃいられない」
 夜中,正体不明の男に暴行された妻は…
 本編で描かれている「目の前の人間に迎合してしまう弱さ」というのは,個人的にとても「痛い」テーマです。しかし「痛い」ながらも,それを巧みなプロットで描き出しているところが,楽しめました。
「ロバート」
 生徒のロバートの言動に,教師はしだいに苛立ちを深め…
 狂気というのは,それだけで悲劇を招き寄せる動因になりますが,ふたつの狂気が増幅しあうとき,その悲劇はよりいっそう深いものになるのでしょう。それを「子ども」というフィルタを通して描き出しているところに,不気味さが醸し出されています。
「不当な疑惑」
 休養地へ向かう列車の中で,彼は奇妙な話を耳にし…
 一種のリドゥル・ストーリィなのですが,その「リドゥル(謎)」の提示の仕方が,じつに心憎いです。たしかに,ふと耳にした言葉や文句が,気になって仕方がないときってありますよね。
「運命の日」
 アンソロジィ『眠れぬ夜の楽しみ』に収録。感想文はそちらに。佳品です。
「蚤をたずねて」
 老人が語る蚤サーカスの思い出話。そこで語られたことは…
 老人が語ったことは,事実なのか,それとも寓話なのか,孤独な心が産み出した妄想なのか,はたまた施し銭を得るためのホラ話なのか…そんな曖昧さが,奇妙な味わいを出しています。
「七つの大徳」
 巨大コンツェルンの総裁と面接した青年は…
 オチは,時代や状況が違うせいか,よくわかりませんでしたが,手触りとしては「ブレッシントン計画」に似たものがあります。つまり,詭弁でもって倫理を踏みにじりながらも,そういった状況が確実にあることを知っている苦さとでも言いましょうか。
「九時から五時までの男」
 “物品販売業”を営む男は,今日もまた朝9時に出勤し…
 平凡で穏やかな日常が,主人公の不可解な行動によって,しだいしだいに不吉で危険な雰囲気に染まっていく過程が,物語の牽引力になっています。激情や愛憎,狂気によって引き起こされる犯罪よりも,さながらルーティンのようになされるそれの方が,よりいっそうのおぞましさがあるのかもしれません。本集で一番楽しめました。
「伜の質問」
 “電気椅子係”の“わたし”は,伜にその仕事を継いでもらいたいと思うが…
 主人公が開陳する,ある種の「理論武装」が,タイトルにある「伜の質問」によって瓦解し,その底に潜んでいた「闇」が浮かび上がるラストは秀逸。

04/01/31読了

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