塩野七生『ローマ人の物語3・4・5 ハンニバル戦記』新潮文庫 2002年

 「戦争という,人類がどうしても超脱することのできない悪業を,勝者と敗者でなく,正義と非正義に分けはじめたのはいつ頃からであろう」(本書より)

 紀元前264年,新興国ローマと,北アフリカの強国カルタゴが,シチリアの領有をめぐって激突する。“第一次ポエニ戦争”である。いったんはカルタゴを下し,西地中海の覇権を握ったローマだが,カルタゴの知将にして猛将ハンニバルが,アルプスを越えてイタリアへ侵攻。ローマの喉元へと切っ先を突きつける。のちに“第二次ポエニ戦争”と呼ばれるその戦いを,ローマ人たちは“ハンニバル戦争”と呼んだ…

 さてこの3冊のメインは,ローマが,大国カルタゴとの戦いを経て,地中海に覇権を確立する“ポエニ戦争”です(「ポエニ」というのは「フェニキア人」という意味だったんですね。高校時代,世界史でこの名前は知っていましたが,意味までは知りませんでした)。
 最初の第3巻は,シチリアの領有をめぐって開戦となる“第一次ポエニ戦争”を中心に描いていますが,中心となっているのが,「海洋国としては新参者であるローマが,どのようにして海洋大国カルタゴを海戦で破ったのか」というプロセスでしょう。
 作者は,『1・2』において「開放性」をローマ人の特質として挙げていますが,このプロセスを見るとき,わたしとしては,ローマ人の貪欲なまでの「吸収性」と,その吸収したものを,みずからの「力」として組織化していく「プラグマティズム」を強く感じました。また,船に「カラス」と呼ばれる陸上戦用の武器を搭載し,海軍力におけるハンディをカヴァしていたところには,上に書いたようなローマ人の「吸収性」「プラグマティズム」が,もっとも典型的に現れているように思いました。

 そして第4巻から第5巻冒頭にかけてが,本エピソードの「核心」とも言える“第二次ポエニ戦争”,つまり“ハンニバル戦争”です。「アルプス越え」という,とんでもないルートでローマに攻撃を仕掛ける名将ハンニバルとの18年に及ぶ「戦記」です。
 作者によれば,ハンニバルの個人的なキャラクタは,ほとんどと言っていいほど伝わっていないそうですが,そのタフで冷徹な「軍人」としての彼の姿は,作者が克明に描く会戦シーンから,じわじわと伝わっています。「アルプス越え」ももちろんそうですが,それ以上に,たとえ今ほどあくせくしていなかった古代であるとはいえ,異国=敵国の地において10年以上にわたって戦争を繰り広げるというのは,よほどの「人物」でないとできなかったでしょう。
 それと,平和を愛するわたしではありますが,戦闘シーンには,やはり「血が騒ぐ」ところがありますね^^;; とくにハンニバルと,若きローマの名将スピキオが激突する「ザマの会戦」,戦闘前の両者の単独会見という「劇的」とも言えるシーンも含めて,「ぐっ」と手に力が入ってしまいます。

 第5巻は,ハンニバル戦争終了後,ローマのマケドニアvsギリシャ戦への介入,マケドニア滅亡,そしてカルタゴとの最終戦“第三次ポエニ戦争”とカルタゴ滅亡,ローマの地中海覇権確立までが描かれます。
 正直言うと,この最後の“第三次ポエニ戦争”をめぐる描写は,少々「歯切れの悪さ」が感じられます。一般的には,ふたたび力をつけてきたカルタゴを徹底的に潰すためにローマが仕掛けたと見られている戦争に対して,異なった視点を提供しようとしているのでしょうが,戦争勃発の契機について「運が悪かった」「価値観の違い」という評言が,どうも引っかかっちゃうんですよね。そういうのは,しばしば「強者」「勝者」の戦争開始に対する「言い訳」として使われる類のもので,ローマからの視点が強調されすぎているように思われます。まぁ,ローマ史を書いているから仕方がないのかもしれませんが…でもカルタゴを滅亡させたことを「愚行」と断じている点は,やはりこの作者のバランス感覚なんでしょうね(もっともそれも,あくまでローマの利益にとっての,ということではありますが)。

02/07/28読了

go back to "Novel's Room"