山田正紀『螺旋の月 宝石泥棒II』ハルキ文庫 1998年

 この感想文は,本書ならびに前作『宝石泥棒』の内容について詳しく触れています。未読で,先入観を持ちたくない方には,お薦めできない内容になっています。ご注意ください。

  新世代コンピュータの開発に従事する学生・緒方次郎は,謎の精神崩壊をきたした恋人・樋口由香利から“IAF”と記されたフロッピィを託される。それをコンピュータに入れた彼は,夢とは思えぬリアルで不可思議な経験をする。異界を旅する“ジロー”と呼ばれる少年の冒険譚を・・・

 サブ・タイトルからもわかりますように,『宝石泥棒』の続編であります(もともとは『宝石泥棒II』がメイン・タイトルだったようですが,今回の文庫化にあたって,サブ・タイトルになったようです)。
 前作の主人公・ジローは,ここでもまた過酷な異世界を旅し,“絶対者”に対する闘いを挑みます。「北倶廬州」では「窮奇」と呼ばれる「死」の神に,「東勝身州」では「渾沌」という名の「流れ」の神に,そして「西牛貨州」では「時間」の神「饕餮」と,この世ならぬ闘いを繰り広げます。それはまさに「神殺し(神狩り!)」の世界であります。

 この作者の初期SFのメイン・モチーフとも言える「絶対者への挑戦」は,前作同様,この作品でも繰り返し取り上げられます。しかし,本作品で,大きく趣の異なる点は,主人公・ジローが,その「絶対者への挑戦」に勝利することにあると思います。人間をコントロールし,ひとつの「世界」に封じ込めようとする絶対者の意志―前作では「空間」への封じ込めでしたが,本作品ではさらにある「時空間」,「パラレル・ワールド」への封じ込めとして描かれます―への反逆の旅であるジローの冒険譚は,さまざまな「神殺し」を通じて果たされます。

 そしてこれら「神殺し」の果てに,ジローが対面する敵はなにか?

 物語は,前作からつづくジローの冒険譚とともに,「現代」の緒方次郎のストーリィが並行して描かれていきます。次郎は,精神崩壊を起こした恋人の謎を調べていくうちに,はるか先にしか実現は不可能と考えていた「光学論理回路コンピュータ」がすでに実在していることを知ります。そしてそのコンピュータが,時間を超えて遙かな未来―ジローの世界―にアクセスしていることを知ります。コンピュータを介し,時間を超えて向かい合う次郎とジロー,ふたりは,人類のあり様をめぐり,時間を超えて最終的に対決します。
 「神=絶対者」との闘いの果てに待っていたものは,人類同士の「意志」の闘いです。
 人類は閉じられた「時空間」の中に留まるべきだというジローの「意志」と,その「時空間」を超越して「進化」すべきだという次郎の「意志」との闘い―――。
 この作者が想定していた「絶対者」とは,じつは人類自身だったのかもしれません。「神」とは,「絶対者」とは,人類自身によって創り上げられ,人類自身によって維持されてきたものなのかもしれません。それゆえ,「絶対者への挑戦」の究極的な形態は「人類自身への闘い」へと,その姿を変えていったのでしょう。

 ある意味で,この作品は,作者自身の長年抱え込んでいたテーマに対する,ひとつの「落とし前」とも読めるのではないでしょうか?

99/01/03読了

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