井上夢人『プラスティック』双葉文庫 1998年

 出張中の夫の帰りを待つ主婦・向井洵子は,ワープロの練習のため日記を付けはじめる。ところが彼女の周囲には奇妙な出来事が起こりはじめる。はじめて行った図書館では,すでに自分の登録がされている。夫の会社に電話を入れれば「あなたは奥さんではない」と言われる。もうひとりの自分がどこかにいるのか? そして数日後,向井洵子の死体が発見される・・・

 物語は,複数の人物によってワープロに入力された“ファイル”が羅列される形で進行していきます。専業主婦・向井洵子,作家志望の奥村恭輔,暴力的な雰囲気を漂わせる藤本幹也,気弱な若尾茉莉子,そして第三者的なスタンスに立つ高幡英世・・・。彼らは,「向井洵子殺害事件」をめぐって,あるものは逃亡し,あるものはただひたすら混乱し,またあるものは事件の真相解明を試み,またあるものは投げやりなモノローグを語ります。
 向井洵子を殺したのは誰か? ではいまワープロを叩いている「向井洵子」とは何者なのか? 20年前に事故で死んでいるはずの「若尾茉莉子」はなぜ生きているのか? などなど・・・
 奥村による調査成果は,各人の証言とは相互に矛盾し,背反します。事態は混迷に混迷を加え,錯綜のうえに錯綜していきます。
 こういった展開は,『クラインの壺』や,『ダレカガナカニイル・・・』を書いた作家さんだけに,この作者にとっては自家薬籠中のものと言えましょう。またその一方で,『メドゥサ,鏡をごらん』の作者だけに,物語がミステリとして着地するのか,ホラーとして展開するのか,はたまたSF的決着へと導かれるのか,そこらへんの先行き不透明性も読んでいて,ワクワクドキドキさせられるところです。

 そしてすべての「証言」が重なり合うとき,真相が明らかにされるわけですが,正直,この結末は,途中で見当がつくものですし,失礼な言い方をさせていただくならば,少々「安直」な感じがしないでもありません。また初出年が1994年ということも考え合わせると,けっして目新しいものではないように思います。ですからそういった面では,物足りない部分を感じざるをえません。
 ただラストで描かれる,数奇な運命に弄ばれてきた人物たちの「ひとつの決着」の付け方,その雰囲気は嫌いではありません。また最後に明かされるタイトルの意味も,じんわりと胸に染みるものがあります。最後の「ファイル」も余韻があって,わたし好みのエンディングです。

 アクロバティックでありながら,かといって「これはびっくり」といった鬼面人を驚かす,といった類の作品でもない,オーソドックスでもあり,なおかつ実験的でもある,という,不思議なテイストを持った作品ではないかと思います。だからこそ「井上夢人作品」なのかもしれません。

 それにしても,双葉文庫のカヴァは,相変わらず愛想なしですね(笑)。

99/01/01読了

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